六角橋杉山大神|日本武尊東夷征討の際、六角の御箸にて御膳
六角橋杉山大神の概要
六角橋杉山大神は、横浜市神奈川区六角橋にある杉山大神です。六角橋杉山大神の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東夷征討に際して、当地に住んでいた大伴久応の庵に止宿、六角の御箸にて御膳をめされたので、久応はその御箸に神名を記し杉山大明神として祀ったといいます。明治6年村社に列格、昭和5年神饌幣帛料供進社に指定されたといいます。
社号 | 杉山大神 |
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祭神 | 大物主命、日本武尊、天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市神奈川区六角橋2-31-23 |
祭日 | 例大祭9月15日 |
備考 | - |
六角橋杉山大神の由緒
六角橋杉山大神の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東夷征討に際して、当地に住んでいた大伴久応の庵に止宿、六角の御箸にて御膳をめされたので、久応はその御箸に神名を記し杉山大明神として祀ったといいます。明治6年村社に列格、昭和5年神饌幣帛料供進社に指定されたといいます。
新編武蔵風土記稿による六角橋杉山大神の由緒
(六角橋村)杉山社
村の中央小高き所にあり、社二間に一間半南向、前に鳥居を立、例祭は年々九月十日なり、神奈川町能満寺の持。
末社稲荷社。社の傍にあり、小祠。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による六角橋杉山大神の由緒
杉山大神
創建年代は詳かでないが、口碑によれば、日本武尊東夷征討の砌、この地なる大伴久応の庵に宿られ六角の御箸にて御膳をめされたので久応その御箸に神名を記し杉山大明神として祀ると。村名も始めは六角箸村としたが、畏れ多いとて六角橋と改めたという。明治六年村社に列せられ、昭和五年九月十二日神饌幣帛料供進社に指定された。同二十年戦災により焼失したが、氏子崇敬者の奉賛により逐次再建せられ、同五十年舞殿、社務所、石段等も整備せられ、六角橋全町の鎮守として崇敬されている。(「神奈川区史」より)
「神奈川県神社誌」による六角橋杉山大神の由緒
創建年代は定かでない。口碑によると日本武尊東夷征伐の際、武蔵の国橘樹郡から、上総の国へ渡られる前、この地の大伴久応という者の庵に宿泊されて六角の御箸を使い、のちその箸を久応に下されたので、久応は箸の一本に天照大神、一本に日本武尊と書て崇め、のち宝秀寺開山清誉は日本武尊を杉山大明神として祀る。村名もはじめ六角箸村と名付けたが、畏れ多いことであると六角橋と改めたという。
明治六年村社に列せられ、昭和五年九月一二日、神饌幣帛料供進社に指定された。(「神奈川県神社誌」より)
六角橋杉山大神の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「神奈川県神社誌」