廣嚴山東泉寺。武南十二薬師如来霊場
東泉寺の概要
高野山真言宗寺院の東泉寺は、廣嚴山成願院と号します。東泉寺は、賢繼(寛正6年1465年寂)が開山したと言います。武南十二薬師如来霊場2番です。
山号 | 廣嚴山 |
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院号 | 成願院 |
寺号 | 東泉寺 |
住所 | 横浜市神奈川区羽沢町1635 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東泉寺の縁起
東泉寺は、賢繼(寛正6年1465年寂)が開山したと言います。
新編武蔵風土記稿による東泉寺の縁起
(羽澤村)東泉寺
村の北の方にあり、古義真言宗にてこれも賢繼と云ひ、寛正六年四月二十日示寂末、廣嚴山成願院と號す、開山を繼園と云、寂せし年代は傳へを失ひたれど、第五世の住僧の寂年を寛永年中といへば、開山の時代も舊きこと知べし、本尊薬師木の立像長九寸許行基菩薩の作と云傳へり。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による東泉寺の縁起
広厳山成願院東泉寺(高野山真言宗) 羽沢町一六三五番地
沿革 寺伝によれば開山は賢継といい、寛正六年(一四六五)四月二〇日示寂したという。『新編武蔵風土記稿』には「開山ヲ継円ト云。示寂セシ年代ハ其伝ヘヲ失ヒタレド、第五世ノ住僧ノ寂年ヲ寛永年中トイヘバ開山ノ時代モ旧キコト知ベシ」とあって、本寺三會寺の隠居寺と思はれるが、明治初年の火災によって全てを焼失したため定かな沿革を知ることができない。
武南寅薬師第二番霊場。(「神奈川区史」より)
「横浜市史稿」による東泉寺の縁起
東泉寺
位置
東泉寺は廣嚴山成願院と號し神奈川區羽澤町に在る。境内は四百二十九坪。民有地。區内の鳥山町三會寺末、寺格は二十等である。
沿革
開山を賢繼と云ひ、寛正六年四月二十日示寂すと云へば、草創の年代も相當古いものらしいが、新編武藏風土記稿には、開山を繼圓と為し、其、示寂は分らぬとし、唯、第五世の住僧の寂年を寛永年中としてあるだけである。其他の事蹟は全く寺に於いても不明である。
本尊
本尊は薬師如来木坐像、長九寸、行基作と傳へてゐる。
堂宇
今の堂宇は本堂 桁行八間、梁間五間、草葺。及び庫裡 桁行五間、梁間三間。である。(「横浜市史稿」より)
東泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「横浜市史稿」