寶樹山大安寺。横浜市神奈川区入江
大安寺の概要
浄土宗寺院の大安寺は、寶樹山喜楽院と号します。大安寺は、僧香誉(万治元年1658年寂)が開山となり創建、東海道線敷設に伴い、明治40年当地へ移転したといいます。
山号 | 寶樹山 |
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院号 | 喜楽院 |
寺号 | 大安寺 |
住所 | 横浜市神奈川区入江1-1-21 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大安寺の縁起
大安寺は、僧香誉(万治元年1658年寂)が開山となり創建、東海道線敷設に伴い、明治40年当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による大安寺の縁起
(東子安村西子安村新宿村)大安寺
海道にあり往還より少しく引いりたる方にあり、浄土宗神奈川慶運寺末寶樹山喜楽院と稱す、開山は香誉と云万治元年十一月二十日寂す、文化十年回禄にかかりていまだ再建ならず本尊は阿弥陀一尺四寸の坐像なり作詳ならず、相應寺以下四ヵ寺は新宿村内に属す。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による大安寺の縁起
開山は清蓮社向誉上人浄阿門益大和尚(万治元年一一月二〇日寂)
文化一〇年に火災にあい、明治初年順阿和尚が中興したが、境内を二分して鉄道が開通するため海道側から現在地まで移動した。大正一二年の関東大震災に本堂は全壊、庫裡及び境内仏堂は半壊の大被害を受けた。(「神奈川区史」より)
「横浜市史稿」による大安寺の縁起
大安寺
位置及寺格
大安寺は、寶樹山喜樂院と號し、神奈川區子安町字七島百二十一番地にある。境内は百二十七坪。民有地。慶運寺の末寺で、寺格は準能分二等である。
沿革
開山は香譽。起立の年代は不明であるが、香譽の入寂が萬治元年十一月二十日とあるから、元祿の頃と見て大差はあるまい。文化十年、囘祿に罹り、明治に至り、頂阿上人が中興した。元の境内は、海道通三千二百四十番地に在つたが、鐵道敷設によつて中斷されたので、明治四十年六月五日、手續を了して、現在の境内に移轉した。大正十二年九月一日の大震災に、本堂は全潰し、庫裡及び境内佛堂は、半潰の大被害を受けた。直後先づ庫裡及び境内佛堂の復舊を遂げ、本堂もやがて再建に及んだ。
本尊
本尊は阿彌陀如來坐像、臺座共高三尺である。(「横浜市史稿」より)
大安寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「横浜市史稿」