考信堂。もと庚申堂、現正覚院の別院
考信堂の概要
曹洞宗寺院の考信堂は、と号します。考信堂は、承応元年(1652)に創建したと伝えられ、庚申堂と称していたといいます。元禄年間(1688-1704)には正香庵と称していましたが、文政年間(1818-1831)に正覚院21世活山大林和尚が堂宇を再興して中興開山、大應寺考信堂と改称して正覚院の末寺としました。「横浜市史稿」では本堂「桁行五間半、梁間四間半」と記載され本堂があったようですが、現在は更地となり、正覚院別院となっています。
山号 | 大豆戸山 |
---|---|
院号 | 正覚院 |
寺号 | - |
住所 | 横浜市神奈川区白幡東町1-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
考信堂の縁起
考信堂は、承応元年(1652)に創建したと伝えられ、庚申堂と称していたといいます。元禄年間(1688-1704)には正香庵と称していましたが、文政年間(1818-1831)に正覚院21世活山大林和尚が堂宇を再興して中興開山、大應寺考信堂と改称して正覚院の末寺としました。「横浜市史稿」では本堂「桁行五間半、梁間四間半」と記載され本堂があったようですが、現在は更地となり、正覚院別院となっています。
「横浜市史稿」による考信堂の縁起
考信堂
位置
考信堂は、神奈川區白幡町八百七番地に在る。境内は九畝二步。官有地。區内大豆戸町正覺院末で、平僧地である。
沿革
承應元辰年の創建と傳ふるのみで、開山・開基も詳でない。開創當時は、庚申堂と稱する一草庵であつた。卽ち寬文十二年、伊奈半十郞檢地帳に、庚申堂山五畝十步、御見捨地とある。元は部落信徒の念佛道場であつた。元祿の頃は正香庵と稱したが、降つて文政の頃に至り、橘樹郡大豆戸村正覺院第二十一世活山大林和尙が、荒廢せる堂宇を再興して、中興開山となり、前住野州大應寺に因みて、大應寺考信堂と改稱した。現今は單に考信堂と稱して居る。當堂は無檀無祿なるを以て、信徒の淨財を以て維持して居る。
本尊
本尊は阿彌陀如來坐像、廚子入、長三尺。
堂宇
今の堂宇は、本堂 桁行五間半、梁間四間半、草葺。のみである。(「横浜市史稿」より)
考信堂の周辺図
参考資料
- 「横浜市史稿」