柴熊野神社|柴岬大権現
柴熊野神社の概要
柴熊野神社は、横浜市金沢区柴町にある神社です。柴熊野神社の創建年代等は不詳ながら、古くより当地に鎮座、応長元年(1311)の大津波に際しても当地は被害を免れ、罹災者の「越し場」となったことから、地名「小柴」が生じたと伝えられます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、大正15年神饌幣帛料供進神社に指定されています。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 熊野櫛御気野神、伊弉冊神、速魂男神 |
相殿 | - |
境内社 | 金刀比良水神社、稲荷大明神、秋葉三尺坊 |
住所 | 横浜市金沢区柴町41 |
祭日 | 例大祭7月19日 |
備考 | - |
柴熊野神社の由緒
柴熊野神社の創建年代等は不詳ながら、古くより当地に鎮座、応長元年(1311)の大津波に際しても当地は被害を免れ、罹災者の「越し場」となったことから、地名「小柴」が生じたと伝えられます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、大正15年神饌幣帛料供進神社に指定されています。
新編武蔵風土記稿による柴熊野神社の由緒
(柴村)
熊野權現社
除地、小名西にあり、村の鎮守なり、石階十五間程を上て社に至る、社は二間四方南向、社邊神木の古松樹一株あり、例祭十一月九日、村内寶蔵院持、
末社辨財天稲荷相殿。坂上向て左にあり、小社(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による柴熊野神社の由緒
創立年相不詳であるが、古来柴岬大権現と称し、熊野に坐す三社を奉斎する。口碑によれば応長元年(一三一一)この附近一帯の海岸は大津波の為に焼失したが(洲崎神社の項参照)、柴の部落は霊験の祟い熊野大権現の御陵威により無難であった。故に遭難難民の「越し場」になった事から「小柴」の地名呼称が起ったと伝える。神社保存の棟札に「寛文三年九月癸卯再建氏子中」とあり、現在の拝殿は文政八年三月の建造である。明治維新まで真言宗宝蔵院が別当寺であった。
明治二年神仏分離の際、社号を熊野神社と改称、同六年村社に列した。大正十四年本殿を新築、旧社殿を拝殿に改修同年九月十日竣工、同十五年六月二十九日神饌幣帛料供進社に指定された。(神奈川県神社誌より)
柴熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿