寳藏院。横浜市金沢区柴町にある真言宗御室派寺院

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此木山寳藏院。横浜金沢七福神の寿老人、東国八十八ヵ所霊場

寳藏院の概要

真言宗御室派寺院の寳藏院は、此木山西方寺と号します。寳藏院の創建年代等は不詳ながら、元禄年間の記録によると傳宥法印(宝永7年1710年寂)が元禄2年(1689)に当地に堂宇を再建、貞光坊を寶蔵院と改めて中興開山したといいます。横浜金沢七福神の寿老人、東国八十八ヵ所霊場76番です。

寳藏院
寳藏院の概要
山号 此木山
院号 寳藏院
寺号 西方寺
住所 横浜市金沢区柴町214
宗派 真言宗御室派
葬儀・墓地 -
備考 -



寳藏院の縁起

寳藏院の創建年代等は不詳ながら、元禄年間の記録によると傳宥法印(宝永7年1710年寂)が元禄2年(1689)に当地に堂宇を再建、貞光坊を寶蔵院と改めて中興開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による寳藏院の縁起

(柴村)
寶蔵院
除地、居村の内にあり、古義眞言宗、洲崎村龍源寺の末、此木山西方寺と號す、本堂五間に七間、南向、本尊大日、坐像長二尺許、元は三尊彌陀行基の作を本尊とせしが、元禄年中別に堂を構て安す、開山を傳へず、中興開山傳宥、寶永七年十月十三日寂す、當寺元禄年中の記録あり、左に鈔録す、天文之頃、傳惠歎晨容朽損、欲加修營、其後傳宥借近里之力再修功畢、(元禄第二年事)寶蔵院初號貞光坊、中古改之寶蔵院、其後法印欲點寺院於今地、(此迄傳惠より六代)今寺地本御晨之社地、(此後今の地に移す)、阿彌陀依當院衰、窄寺之南邊開兩嶋之地、別建之(元禄年中傳宥之記と云)今尋村里古老記、元禄三年孟陽日、
阿彌陀堂。本堂の南にあり、三間四方、前に云阿彌陀なり、坐像二尺五寸許、(新編武蔵風土記稿より)


寳藏院所蔵の文化財

  • 木造阿弥陀如来及び両脇侍像(横浜市有形指定文化財)

木造阿弥陀如来及び両脇侍像

来迎印を結ぶやや小振りの等身大の中尊阿弥陀如来坐像に、半等身大の両脇侍がしたがう三尊像です。
阿弥陀如来像は、湾曲する髪際の線や、衣の末端近くに環を付けて背部から左肩越しに紐で吊る形などに、鎌倉時代の新形式が見られます。一方、左脇侍観音菩薩と右脇侍勢至菩薩は下半身の着衣などが平安後期風の型式となっており、平安後期の伝統的な製作に深くなじんだ仏師が、新時代の流行に対応した製作を試みたような印象があります。
製作時期は鎌倉時代初頭とみられ、三尊像が完存し、その時期の鎌倉周辺地域の造像の一面を物語る資料として貴重です。(横浜市教育委員会掲示より)

寳藏院の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵国風土記稿