日光山千光寺。照天姫(照手姫・照姫)の身代わり千手観音
千光寺の概要
浄土宗寺院の千光寺は、日光山と号します。千光寺の創建年代等は不詳ながら、当寺本尊千手観音像は、応永年間(1394-1428)の照天姫(照手姫・照姫とも)の身代わり佛と伝えられることから、その頃の創建と推定されています。照天姫は強盗から小栗判官満重を救ったと伝えられ、江戸期には参詣者で賑わったといいます。昭和58年六浦から当地へ移転しています。金沢三十四所観音霊場14番です。
山号 | 日光山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 千光寺 |
住所 | 横浜市金沢区東朝比奈1-37-1 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
千光寺の縁起
千光寺の創建年代等は不詳ながら、当寺本尊千手観音像は、応永年間(1394-1428)の照天姫(照手姫・照姫とも)の身代わり佛と伝えられることから、その頃の創建と推定されています。照天姫は強盗から小栗判官満重を救ったと伝えられ、江戸期には参詣者で賑わったといいます。昭和58年六浦から当地へ移転しています。
新編武蔵風土記稿による千光寺の縁起
(社家分村)
千光寺
境内除地八畝、小名川にあり、淨土宗町屋村天然寺末、日光山と號す、本堂四間半四方東向、本尊千手觀音、照天姫の身替佛と云秘佛なり、前立の像立身長六尺許、照天姫のことは泥龜新田いふし鴫の條にしるす、
(泥龜新田)
イブシ島
内川の東南瀬戸橋の北なり、纔に三坪許の地なり、爰に照天松と云あり、姫小松とも呼、古木は枯れて若木なり、土人云古照天姫をふすべし所なりと、【鎌倉志】にも照天姫をふすべし時の松の木の跡故に、姥が焼さしの松とも云、延宝庚申の大風に吹折て根株のみ存すとあり、照天姫が事世俗の云傳ふる説たしかならず、【鎌倉大草紙】應永三十年常陸國小栗の城沒落せし後、小栗小次郎ひそかに關東にありしが、相州權現堂と云所へ行くとて、其道にして強盗の爲毒酒をもて害せられんとす、其夜酌に立ける照姫と云遊女、此間小栗に逢なれしにより、これを哀れみひそかに毒酒のことを告ける、故小栗は酒を飲やうにもてなして更に飲ず、隙を伺て藤澤の道場へ落行たり、強盗等小栗の家人幷に遊女の酔ふしけるを、河水に流しけれども遊女は酔ける體にもてなしてもとより酒を飲ざりければ、河下より上りて助かりける、其後永享の頃小栗三州より来り、彼遊女を尋出種々の寶を與へし由見えたり、今爰に云傳ふる照天姫とは此照姫がことなるにや、 (新編武蔵風土記稿より)
千光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵国風土記稿