染王寺。横浜市金沢区野島町にある真言宗御室派寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

野島山染王寺。東国八十八ヵ所霊場

染王寺の概要

真言宗御室派寺院の染王寺は、野島山と号します。染王寺は、永徳2年(1383)比丘尼了意、義圓和尚が野島山に小庵を結び創建、源朝上人(永禄9年1566年寂)が当地に善應寺と号して開山、その後染王寺と改称したといいます。東国八十八ヵ所霊場77番です。

染王寺
染王寺の概要
山号 野島山
院号 -
寺号 染王寺
住所 横浜市金沢区野島町5-1
宗派 真言宗御室派
葬儀・墓地 -
備考 -



染王寺の縁起

染王寺は、永徳2年(1383)比丘尼了意、義圓和尚が野島山に小庵を結び創建、源朝上人(永禄9年1566年寂)が当地に善應寺と号して開山、その後染王寺と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による染王寺の縁起

(洲崎村)
善應寺
除地、小名野嶋浦にあり、同じ末野嶋山と號す、當寺古は野嶋山の頂にありしが、南風のをりから堂舎を破損せし故、この地に移れる由、今も彼頂に善應寺屋敷の名殘れり、本堂は六間に五間、本尊觀音は八寸許の立像なり、古は愛染を本尊とせしが、火災に罹りし後改む、札所の内第八番なり、世代の内永祿九年三月十七日に寂せし源朝と云あり、これより舊きを傳へざれば、これ開山なるべしという、
什寶
不動一躯 臺座共に三尺許の坐像、聖徳太子の作、
愛染一躯 五寸許の坐像、弘法大師の作、
井 裏門の入口にあり、觀音水又閼伽の井とも云、水いと清冷なり、側に野嶋山上より引移せし天神社ありしが今は廢し、神體は本堂に安す、一尺餘の坐像にて春日の作なる四寸許の像を腹籠となせり、この像殊に古物に見ゆ、
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圓明院
年貢地、廢寺となり、今其蹟は善應寺大門の傍に殘れり、これも龍源寺末、本尊藥師一尺五寸の坐像は本寺にて預れり、作佛とのみ傳ふ、
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正覺院
除地、小名野嶋浦の内洲崎にあり、古義眞言宗龍源寺の末、夕照山と號す、開山の名を傳へず、本堂五間四方西向、本尊大日二尺餘の坐像、外に荒神あり作物とのみ傳ふ、秘して拝することを許さず。 (新編武蔵風土記稿より)


染王寺所蔵の文化財

  • 筆子塚(横浜市地域史跡)

筆子塚

染王寺は、野島山と号して古義真言宗御室派で、本尊は聖観世音菩薩の立像です。
本寺の創建については詳らかではありませんが、永徳二年(一三八二年)比丘尼了意が野島山に小庵を結んだのに始まると伝えられます。また、文政十一年(一八二八年)の「新編武蔵風土記稿」に、寺名の染王寺が善應寺とあり、野島山の山頂に所在していたことが記されています。
現在、本堂左側境内地には、四基の墓塔からなる「筆子塚」があります。
これらの墓塔は、江戸時代の元禄元年(一六八八年)から享保十六年(一七三一年)に造立されたもので、四基のうち二基は善應寺、あと二基は正覚院のいづれも住職の名が刻まれており、これは、本寺が寺子屋のような学問推進の場であり、その師であった住職のために、教えを受けた手習子たちによって建てられたものです。(横浜市教育委員会掲示より)

染王寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵国風土記稿