新羽杉山神社|横浜市港北区新羽町の神社

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新羽杉山神社|旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の一つ

新羽杉山神社の概要

新羽杉山神社は、横浜市港北区新羽町にある神社です。新羽杉山神社の創建年代等は不詳ながら、旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の一つで、当地周辺が「上古根古屋の庄荷場の郷」と呼ばれていた時代より鎮座していたといいます。明治6年村社に列格に列格、明治41年村内にあった(大嶽)荒神社、(中の久保)熊野社、皇大神宮三社を合祀したといいます。

新羽杉山神社
新羽杉山神社の概要
社号 杉山神社
祭神 日本武尊
相殿 火産霊神、奥津彦神、奥津姫神、伊弉冊命、速玉男命、事解男命、天照皇大神
境内社 金比羅社
住所 横浜市港北区新羽町2576
祭日 10月6日
備考 -



新羽杉山神社の由緒

新羽杉山神社の創建年代等は不詳ながら、旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の一つで、当地周辺が「上古根古屋の庄荷場の郷」と呼ばれていた時代より鎮座していたといいます。明治6年村社に列格に列格、明治41年村内にあった(大嶽)荒神社、(中の久保)熊野社、皇大神宮三社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による新羽杉山神社の由緒

(新羽村)
杉山社
除地、一段、字三谷にあり、又此邊を八朔堂ともいへり、神體は木の立像長一尺許、其形菅神の像に似たり、されど近来の作にして、昔本地と號せしは石像の不動にて、長二尺ばかり、これも立像の由傳へり、石階七間程を登りて、社前に至る、本社二間四方、拝殿三間に二間東向なり、石の鳥居をたつ、西方寺の持、以下四社も同寺の持。
熊野社
除地、一段四畝、字中の久保にあり、本社三間に三間、拝殿三間に二間巽に向ふ、神體本地彌陀の石像にて長一尺許、例祭は七月二十三日。
神明社
除地、一段、村の南にあり、一間半に二間坤向なり
太神宮
除地、三畝、東の方おい塚と云地にあり。
浅間社
除地、三畝、南の方にあり、この邊を字大いか谷と云、一間半四方の社なり
諏訪社
年貢地、村の南にあり、小社なり、村民の持、以下三社も同持なり
子権現社
年貢地、村の北にあり
荒神社
村の西字大嶽にあり、神體は木の立像にて長一尺ばかり、例祭は年々二月十九日、石階四間許を登りて社前に至る、二間半に三間の社にて西向に建り、村の總鎮守なり。
三嶽社
見捨地、荒神社の邊にあり。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による新羽杉山神社の由緒

口碑によれば、当社の創建は約八百年前、荷場の郷と唱う水郷一帯の時代より奉祀せられていたという。明治六年村社に、大正九年神饌幣帛料供進社に指定された。これより先だち、明治四十一年村内無格社荒神社、熊野社、皇大神宮を合併した。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による新羽杉山神社の由緒

杉山神社の史籍に於ける初見は延喜式神名帳に(今より一、〇七〇余年前)武蔵国都筑郡杉山神社とあり、当社の由緒は明らかでないが、口碑に伝えるに其の創立は上古根古屋の庄荷場の郷と唱う水郷一帯の時代、景行天皇の御代四十年東方十二国御平定の折、日本武尊此の地方を御通過され、尊崩御の後村民其の御徳を慕い奉りて祠を造り奉斎したと云う。
明治六年村社に列格、同四十一年村内の無格社荒神社、熊野社、皇大神宮を合併し、大正九年神饌幣帛料供進社に指定された。(境内掲示より)


新羽杉山神社の周辺図