篠原八幡神社|建久3年篠原村小名会下谷に創建
篠原八幡神社の概要
篠原八幡神社は、横浜市港北区篠原町にある神社です。篠原八幡神社は、鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して建久3年(1192)篠原村小名会下谷に創建、鶴崎八幡と称していたといいます。寛永8年(1631)小名表谷へ遷座し若宮八幡と奉称、明治以降に入り八幡大神と改めたといいます。
社号 | 八幡大神 |
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祭神 | 誉田別尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市港北区篠原町2735 |
祭日 | 8月25日 |
備考 | - |
篠原八幡神社の由緒
篠原八幡神社は、鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して建久3年(1192)篠原村小名会下谷に創建、鶴崎八幡と称していたといいます。寛永8年(1631)小名表谷へ遷座し若宮八幡と奉称、明治以降に入り八幡大神と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による篠原八幡神社の由緒
(篠原村)
八幡社
小名會下谷にあり、鶴崎八幡と號す、其名づけしいわれを知らず、わづかなる祠にて二間四方の覆屋あり、鎮座の年歴を傳へず、この所は村内若宮八幡社の舊地なりと云、村内東林寺のもち。
若宮八幡宮
例祭十一月二十日、本社東向拝殿をつくりかけ二間半に三間半、本地正観音坐像四寸許なるを安ぜり、前に石の鳥居あり村内観音寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による篠原八幡神社の由緒
建久三年(一九一一)九月、武蔵国橘樹郡鈴木村の鎮守として、同村字会下谷に勧請奉斎し、観音寺住職を別当とし、鶴崎八幡と奉称した。寛永八年同村字表谷に奉遷し、其の後寛文七年時の代官伊奈半十郎社殿を再建して若宮八幡と奉称す。武蔵風土記稿に「鶴崎八幡と称したいわれを知らず」とある。鈴木村は後に篠原村となり、若宮八幡を八幡大神と奉称す。現在の建物は天保六年再建したものである。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による篠原八幡神社の由緒
篠原八幡神社は御鳥羽院の建久三年(西暦一、一九二年)に武蔵国太知波奈郡(橘樹郡)鈴木村の鎮守として鎌倉鶴岡八幡宮より勧請され鶴崎八幡と奉称し同村会下谷に始めて鎮斉された。寛永八年(西暦一、六六五年)更に社殿の再建されるに及び若宮八幡と奉称した。当時鈴木村代官は伊奈半十郎との記録がある。後に鈴木村は篠原村と改称され、社名も八幡大神と奉称された。天保六年(一、八三五年)社殿の再建の為十年の年月を要したと謂われ現在の社殿構造は当時のものである。(境内掲示より)
篠原八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿