高田天満宮|奇瑞により領主桃井播磨守直常が正中2年建立
高田天満宮の概要
高田天満宮は、横浜市港北区高田西にある神社です。高田天満宮は、正中2年(1325)申酉の方より光物が現れ震動し小蛇が現れた奇瑞により、領主桃井播磨守直常が社を建立、江戸期には高田村の鎮守社だったといいます。
社号 | 天満宮 |
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祭神 | 菅丞相霊 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
住所 | 横浜市港北区高田西3-25-1 |
祭日 | 10月25日 |
備考 | - |
高田天満宮の由緒
高田天満宮は、正中2年(1325)申酉の方より光物が現れ震動し小蛇が現れた奇瑞により、領主桃井播磨守直常が社を建立、江戸期には高田村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による高田天満宮の由緒
(高田村)天神社
除地、三段、村内、村内興禅寺のつづき南の方にあり、上屋は三間四方、内に小者を置、拝殿は三間に二間南に向ふ、神體は新舊の二軀を安す、共に長一尺許、石の鳥居を立、村の惣鎮守にして例祭年縁九月二十五日なり。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による高田天満宮の由緒
正中二年(一三二五)五月二十五日夜当地申酉の方より光物が現れ、しきりに震動した。夜に至るも四方昼の如く明るく、光物は遂に当地の山中に鎮り昼夜雷光乱れ飛び、人々近づくことが出来なかった。時に小蛇梅の若木の下に現れ、異香を放って正く天神に観音の垂迹と思われた。これこそ衆生済度の方便、大慈大悲の誓なりとて、興禅寺弁珠法印先達となり榊の枝を取って前に置くと、小蛇は榊枝の上に留まった、時に領主桃井播磨守直常近く之を見聞し信心止みがたく遂に社を建立せしめ、当所一帯の氏神と仰いだという。大正六年神饌幣帛料供進社に指定された。(神奈川県神社誌より)
高田天満宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿