若雷神社|官幣中社吉田神社を勧請、吉田村地名の由来
若雷神社の概要
若雷神社は、横浜市港北区新吉田町にある神社です。若雷神社の創建年代は不詳ながら、寛政10年(1798)に社殿を再建する際に、官幣中社吉田神社(春日大明神)を勧請、吉田村地名の由来となったといいます。明治41年神明社5社、稲荷社6社、子ノ神社、白山社、安塚弁才天(厳島神社)を合祀したといいます。
社号 | 若雷神社 |
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祭神 | 若電命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、春日神社 |
住所 | 横浜市港北区新吉田町3490 |
祭日 | 9月28日 |
備考 | - |
若雷神社の由緒
若雷神社の創建年代は不詳ながら、寛政10年(1798)に社殿を再建する際に、官幣中社吉田神社(春日大明神)を勧請、吉田村地名の由来となったといいます。明治41年神明社5社、稲荷社6社、子ノ神社、白山社、安塚弁才天(厳島神社)を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による若雷神社の由緒
(吉田村)
雷電社
除地、三段一畝、村の中央にあり、本社は二間四方、拝殿三間に二間南に向、石の鳥居をたつ、神體は大日の如くにて、木の立像なり、長四寸ばかり、鎮座の年歴を傳へず、例祭は年々七月二十八日、此地は高丘にして南の方は一圓に平田をのぞみ、其景地なり。
末社。春日社、本社に向て右にあり。稲荷社、本社に向て左の方にあり。
子神社
見捨地、一畝二十六歩、山王岸神明三坐相殿、社は二間に二間半
神明八社
村内所々にあり、各字を冠りて唱へを分ち、わづかづつの除地、見捨地あれど、こと煩しければ具録せず、何れも正福寺持。
稲荷九社
是も所々にあり、字を以て唱、稱呼を分ち、わづかづつの見捨地あり、正福寺持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による若雷神社の由緒
由緒詳らかではないが、明治四十一年無格社神明社外を合併、大正二年七月八日指定村社に列せられ、昭和四十七年三月現社殿を再建した。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による若雷神社の由緒
武蔵国都筑郡新田村吉田字宮ノ原に鎮座スル当、若雷神社ハ人皇五十六代清和天皇ノ御宇山城ノ国(京都)上賀茂ニ鎮座スル、別雷神(官幣大社上賀茂神社)ヲ勧請セシモノニテ貞観六年七月二十七日従五位上ヲ賜ル(参代実録参照)
祭神ハ、下賀茂御祖神社祭神、建角身命ノ御孫、別雷命(わけいかずちのみこと)
世ヲ鎮護し、五穀ヲ豊穣ナラシメ雷ノ御神威徳ニヨリ、厄ヲ祓イ災難ヲ除キ給ウ氏神トシテ往昔ヨリ人々ハ、雷電様ト称ヘ崇メタトキク
寛政十年(一七九八年)往古ノ祠(ほこら)ヲ再建シ新タニ本殿及び拝殿ガ造営サレタ。
ソノ建立ニ先ダチ、山城ノ国(京都)愛宕郡ヨシダヨリ、春日大明神(官幣中社吉田神社)ヲ勧請シタ。コレ当地名「吉田」ノ起源ト伝エラレテイル。
明治四十一年官令ニヨリ左ノ諸神ヲ合祀ス。
天照大神、大己貴尊、稲倉魂尊、市杵嶋姫、豊受姫尊、伊弉諾尊、大山咋尊
合併シタ元宮次ノトオリナリ
神明社五柱、稲荷社六柱、子ノ神一柱、白山一柱、安塚弁才天(厳島神社)
大正十二年関東大震災ニテ社殿倒壊シタルニヨリ(本殿ハ安泰)修復大工事ヲ行ナウ。(境内掲示より)
若雷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿