蓮勝寺。横浜市港北区菊名にある浄土宗寺院

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菊名山蓮勝寺。横浜七福神の毘沙門天

蓮勝寺の概要

浄土宗寺院の蓮勝寺は、菊名山喜楽院と号します。蓮勝寺の創建年代等は不詳ながら、淨土宗十六祖師の一人蓮勝上人が正和年間(1312-1317)前後に創建したと伝えられ、応永年間に喜楽和尚が字宮谷から当地へ移して中興しています。蓮勝寺の毘沙門天王は、横浜七福神の毘沙門天となっています。

蓮勝寺
蓮勝寺の概要
山号 菊名山
院号 喜楽院
寺号 蓮勝寺
住所 横浜市港北区菊名5-4-40
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮勝寺の縁起

蓮勝寺の創建年代等は不詳ながら、淨土宗十六祖師の一人蓮勝上人が正和年間(1312-1317)前後に創建したと伝えられ、応永年間に喜楽和尚が字宮谷から当地へ移して中興しています。

新編武蔵風土記稿による蓮勝寺の縁起

(菊名村)蓮勝寺
村の西よりにあり、菊名山喜楽院と號す浄土宗小机泉谷寺の末、開山詳ならず、當寺の過去帳には舊き世の年號を記したれど、この過去帳は全く後世より記したるものと見ゆれば、是を以て當寺の草創を舊しとは断ずべあらず、客殿六間四方南に向ふ、阿弥陀を本尊とす長二尺五寸。
観音堂。客殿の右にあり九尺に二間。
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毘沙門堂
村の北よりにあり二間半四方南向、毘沙門の像三尺名ある人の作なりとのみ云傳へて、其慥なる事を知らず村内蓮勝寺持。 (新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿」による蓮勝寺の縁起

蓮勝寺
位置及寺格
蓮勝寺は、菊名山喜樂院と號し、神奈川區菊名町五百二十一番地に在る。境内は四百七十三坪。官有地。小机町泉谷寺の末で、寺格は能分七等である。
沿革
正和四年二月の草創で、開山は淨土宗十六祖師の一人蓮勝上人である。其庵室は當所字宮谷五百六十二番地邊にあつて、上人が此で平常念佛修行の傍ら、道俗の敎化を努めてゐた。此庵室は關東十六庵室の一つであったと云ふ。開山以二百有餘年を經て、應永の頃、荒廢に歸したを、時の住僧喜樂和尙が今の地に移して再建し、中興の業を遂げた。其時に彼の號を採つて喜樂院と名付けた。共後幾度か天災地變に遇ひ、堂宇が荒廢したので、第二十世暢譽上人の代、地頭久志本氏久志本左京常弍か。の外護を得て再建した。また近く安政の大風、大正の震災等に大破したが、修繕を加へて今日に至つた。
本尊
本尊は 阿彌陀佛坐像、長一尺七寸。脇士は觀音・勢至坐像長一尺一寸。である。
堂宇
今の堂宇は、本堂 桁行六間、梁間六間、向拜附、萓葺、四注造。・庫裡 桁行五間、梁間七間、草葺。・玄關桁行二間半、梁間一間半、亞沿葺。等である。
境外堂
毘沙門堂。桁行二間、梁間二間半、向拜附、草葺。本尊は毘沙門天王立像長二尺六寸。廚子入、運慶作と云はれてゐる。口碑に據れば、住僧某、當寺へ轉住の際、靈夢に依り、其護持佛を安置したものと云ふ。此像靈驗顯著であるとて、俗に枕返しの毘沙門と唱へ、或は日本三毘沙門の一なりとも傳へる。相殿として地藏尊が安置してある。 (「横浜市史稿」より)

境内掲示による毘沙門天について

蓮勝寺毘沙門天王横浜七福神の蓮勝寺毘沙門天王は、仏師運慶作の「日本三毘沙門」と伝えられ、また、巷間に「木ダリキッチョの毘沙門天」と称されています。
この毘沙門天王は、六百有余年前の昔から諸々の厄難を除き、財を豊かならしめ、霊験あらたかな、厄除け、開運の守り神として信仰されています。
御開扉の日
正月松の内の七日間(初詣)
一月、五月、九月の初寅の日(縁日) (境内掲示より)


蓮勝寺の周辺図

参考資料