醫王山金剛寺。武南十二薬師如来霊場
金剛寺の概要
曹洞宗寺院の金剛寺は、醫王山と号します。金剛寺は、長谷川道全が開基となり、明翁永壽和尚が天文9年(1540)に草創、雲松院第19世大繼良智和尚が一寺としたといいます。武南十二薬師如来霊場7番です。
山号 | 醫王山 |
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院号 | - |
寺号 | 金剛寺 |
住所 | 横浜市港北区小机町952 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金剛寺の縁起
金剛寺は、長谷川道全が開基となり、明翁永壽和尚が天文9年(1540)に草創、雲松院第19世大繼良智和尚が一寺としたといいます。
新編武蔵風土記稿による金剛寺の縁起
(小机村)金剛寺
村の中央古城蹟の下にあり、村内雲松院の末寺にて曹洞宗なり、醫王山と號す、開闢の僧を明翁永壽と云、寂日は五日とのみ傳へて年月を傳へず、昔より菴室にてわづかに法燈を掲げしが、近き頃大繼良智と云僧住職の頃より一寺となれり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による金剛寺の縁起
金剛寺
位置
金剛寺は、醫王山と號し、神奈川區小机町九百五十二番地に在る。境内は三百七十八坪。官有地。同町雲松院末で、寺格は三等法地五十級。武神奈川近鄕十二藥師札所の第七番である。
沿革
寬延元年十月の創立で、開基は長谷川道全、開山は明翁永壽和尙である。開闢之覺には天文九年の起立となつてゐる。當初は一小草庵であつたが、其後雲松院第十九世大繼良智和尙が、法地に進めて一寺とした。以來十三世を歷て、今日に至り、昭和四年二月二日、囘祿に罹り、堂宇・什寶・舊記等を燒失し、今再建の企劃中である。
本尊
本尊は藥師如來坐像、傳行基作である。(「横浜市史稿」より)
金剛寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」