景谷山大聖院。准秩父三十四観音霊場
大聖院の概要
天台宗寺院の大聖院は、景谷山東観寺と号します。大聖院は、慈覚大師が開基となり大同年間(806-809)に建立、什吽法印が文永元年(1264)に開山したといいます。その後永享元年(1429年)に忠含(永享12年寂)が中興したといいます。准秩父三十四観音霊場24番です。
山号 | 景谷山 |
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院号 | 大聖院 |
寺号 | 東観寺 |
住所 | 横浜市港北区箕輪町3-12-1 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大聖院の縁起
大聖院は、慈覚大師が開基となり大同年間(806-809)に建立、什吽法印が文永元年(1264)に開山したといいます。その後永享元年(1429年)に忠含(永享12年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による大聖院の縁起
(箕輪村)大聖院
字根方にあり、天台宗駒林村金蔵寺末景谷山東観寺と號す、開山は什吽退院せしより久しく廃寺の如くなりしを、永享元年三月忠含と云僧興復せりと、此等の事粗寺傳に見ゆれども古き世の事なれば其詳なることは傳はらず、此功あるにより忠含を中興開山とす、同十二年六月十一日示寂すと云。
門。柱間九尺東に向ふ兩扣なり。
客殿。六間半に六間餘東に向ふ、本尊不動の坐像なり慈覚大師の作と云。
釈迦堂。門を入て左にあり、三間半に二間半木像の釈迦を安ず長一尺一寸許作知れず、或は云行基菩薩の作なりと、又十一面観音木の立像にて長一尺一寸許なるを安ず、相傳ふ元和元年大阪御陣の頃、都筑郡川島村の農民夫役に出し時、陣中より此尊像を持来りて當寺に納めしと云。
山王社。境内にあり元禄九年勧請せし所なり。
辨天社。同所にあり元禄十六年の勧請なりと云。
稲荷社。境内持添年貢地の内にあり、元亀元年の勧請と云。(新編武蔵風土記稿より)
大聖院の周辺図
- 新編武蔵風土記稿
- 観音霊場 | 観音、お開帳、巡礼、札所
参考資料
- 新編武蔵風土記稿