法華寺。横浜市港北区師岡町にある天台宗寺院

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熊野山法華寺。聖武天皇代の神亀元年に僧天寿が草創

法華寺の概要

天台宗寺院の法華寺は、熊野山全寿院と号します。法華寺は、聖武天皇代の神亀元年(724)に天寿という僧が当地に住み着き、法華経を転読、熊野権現の告により毘首羯摩が彫刻した本尊を安置したといいます。その後、光孝天皇の御后妃御願成就により仁和元年(885)に創建、その後星霜を重ね良賢(元禄2年1689年寂)が中興したといいます。

法華寺
法華寺の概要
山号 熊野山
院号 全寿院
寺号 法華寺
住所 横浜市港北区師岡町1168
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法華寺の縁起

法華寺は、聖武天皇代の神亀元年(724)に天寿という僧が当地に住み着き、法華経を転読、熊野権現の告により毘首羯摩が彫刻した本尊を安置したといいます。その後、光孝天皇の御后妃御願成就により仁和元年(885)に創建、その後星霜を重ね良賢(元禄2年1689年寂)が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による法華寺の縁起

(古師岡村・新師岡村)熊野三社別當法華寺
本社の西の續きにあり、熊野山全壽院と號す、天台宗にて多磨郡深大寺村深大寺末なり、本堂九間に六間南に向ふ、本尊彌陀の立像二尺六寸なるを安ず、脇士観音薬師共に長さ一尺五寸許、開山は全壽なり事は前に出せり、中興開山を良賢と云元禄二年十一月朔日示寂す、門外石階六級ありて左の方に制札をたつ、其文左の如し。
一、寺中不入
一、殺生禁斷之事
一、山林竹木伐取間敷事
一、亂妨狼藉之事
一、博奕賭勝負之事
別當
慶長四亥年二月七日
十王堂。門を入て右の方にあり二間に三間。
經塚。境内北の方にあり、はばり二間許高六尺餘其来由を傳へず。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による毘沙門天について

当山は熊野山全寿院法華寺と号す。
伝承として記せし貞治三年の縁起によれば、神亀元年、全寿と云う僧何処より来たりて当山に居住し、専ら法華経を読誦、年かさね、ある晩、夢の中に熊野証誠権現の告をうけ、阿弥陀の像を大和春日明神より負い、当所に小祠を造り安置したこの尊像が当山のご本尊なり。
その後仁和元年、光孝天皇の御后妃御願成就に依って創草せらると云われる。
歴史的には熊野詣に顕われた阿弥陀信仰が熊野修験者により勧請されたものと思われる。
江戸期末までは熊野権現・法華寺が一体の信仰でありしが、明治の廃仏毀釈により熊野権現の名称が熊野神社に、中身の信仰も新しいものとなりました。そのとき法華寺は廃寺同然になりましたが、その後多くの檀信徒の力により復興されました。とにもかくにも開山より、法華の梵音と弥陀の称名は絶え間なく響き渡っています。(境内掲示より)


法華寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿