遍照山光明寺。武相不動尊霊場、多摩七薬師、稲毛七薬師
光明寺の概要
高野山真言宗寺院の光明寺は、遍照山と号します。光明寺は、継伝僧都が明應5年(1496)に開創、二世は印盛(慶長14年1609年遷化)だとといいます。武相不動尊霊場26番、多摩七薬師霊場、稲毛七薬師霊場です。
山号 | 遍照山 |
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院号 | - |
寺号 | 光明寺 |
住所 | 横浜市港北区新羽町3990 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光明寺の縁起
光明寺は、継伝僧都が明應5年(1496)に開創、二世は印盛(慶長14年1609年遷化)だとといいます。
新編武蔵風土記稿による光明寺の縁起
(新羽村)光明寺
除地、一段六畝、村の北にあり、これも鳥山村三會寺の末にして遍照山と號す、客殿六間に五間坤の向なり、本尊大日、木の坐像長一尺餘、開山什継忌日は朔日とのみ云傳へて、其年代を知らず、二世印盛は慶長十四年七月十日遷化すと云ときは、開山の年代もおして知べし、墓所に古碑二基あり、漫滅して文字さだかに見えず。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による光明寺の縁起
当寺は弘法大師空海を祖師とする高野山真言宗に属し、山号を遍照山、寺号を光明寺と称す。
室町時代の明應五年(西暦一四九六年)継伝僧都によって開創された。
本尊は金剛界大日如来。真言密教の根本仏である。山号の遍照とは、大日如来の別称である。大日如来の生わす山、光明をあまねくすべてに照らす寺の意味である。
本堂には大聖不動明王を祀り、武相不動尊二十八霊場の第二十六番札所として、酉年にご開帳をおこなう。
当山は神仏共にお祀りする寺院であり、境内西端には天満宮を祀る。ご神体の菅原道真公座像は、江戸時代に新羽在住の仏師によって彫られたと伝えられる。
本堂後面の山上には、寺を護持する守り神として大六天を祀る。大六天は天魔ともいい、祠の周辺には浄域として古来より特別な場所とされている。
境内は豊かな湧水があり、本堂正面大門石段上には弁財天を祀る。(境内掲示より)
光明寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿