平等山善教寺。横浜市港北区新羽町
善教寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の善教寺は、平等山星谷院と号します。善教寺の創建年代等は不詳ながら、かつては池辺村字星谷にあり天台宗寺院だったといい、宝治元年(1247)には北条氏政(?)が帰依したともいいます。その後当地へ移転、慶長17年(1612)浄土真宗に改め、平等山星谷院と号したといいます。
山号 | 平等山 |
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院号 | 星谷院 |
寺号 | 善教寺 |
住所 | 横浜市港北区新羽町2396 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
善教寺の縁起
善教寺の創建年代等は不詳ながら、かつては池辺村字星谷にあり天台宗寺院だったといい、宝治元年(1247)には北条氏政(?)が帰依したともいいます。その後当地へ移転、慶長17年(1612)浄土真宗に改め、平等山星谷院と号したといいます。
新編武蔵風土記稿による善教寺の縁起
(池邊村)善教寺跡
字星谷にあり、いつの頃よりか同郡新羽村へ移せりと云、按に山號を星谷山と唱へり。
(新羽村)善教寺
年貢地、村の西にあり、當寺古へは池邊村の内星谷と云所にありしを、當村に移せるよし、其年代を傳へず。其頃は天台宗にて、開山を慈海と云、明應九年三月十一日寂す、慶長十七年改宗して浄土真宗、西本願寺派になれり、山號も元は瑠璃光山と稱せしを、今は平等山星谷院と號す、客殿七間四方西向なり、本尊彌陀の立像長二尺許、此寺に北條左京大夫氏政の文書一通を蔵せり、されど宛所は法華経寺とあれば、橘樹郡師岡村法華寺へあたへしを、いつとなく當寺に移して傳へるものか、縁起によれば寶治元年北條氏政歸依の靈地なりとて、山の頂に薬師佛を勧請せり、されど寶治は鎌倉将軍頼嗣の頃の年號なれば、遥に年代へだたれり、又重寶とて持傳ふる銅の釜一つを、氏政にあたへし時の文書なりとも云、何れ後に付會せしものなるべし、脇士の太子は恵心の作なりと云、木の立像長二尺許、彼蔵する文書左に載、
至于舊冬上州出馬、就達本意預出僧候、殊釜給候、祝着□□□幸田源次郎可申候、恐々謹言。
三月四日 氏政花押 法花経寺
山門。三間に二間、樓上に大鐘をかく、享保元年の銘文にて考證によしなければもらせり。(新編武蔵風土記稿より)
善教寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿