下田山眞福寺。准秩父三十四観音霊場、都筑橘樹二十四ヵ所地蔵霊場
眞福寺の概要
曹洞宗寺院の眞福寺は、下田山と号します。眞福寺は、杉窟悦(慶長17年1612年寂)が開山、欄室關牛(明暦3年1657年寂)が開基となり創建したといいます。准秩父三十四観音霊場1番2番、。都築橘樹酉年地蔵尊霊場11番です。
山号 | 下田山 |
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院号 | - |
寺号 | 眞福寺 |
住所 | 横浜市港北区下田町3-11-5 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
眞福寺の縁起
眞福寺は、杉窟悦(慶長17年1612年寂)が開山、欄室關牛(明暦3年1657年寂)が開基となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による眞福寺の縁起
(駒ヶ橋村)真福寺
村の中央の邊にて下分に属す、曹洞宗多摩郡和泉村泉龍寺末、駒橋山と號す、開山杉窟悦慶長十七年寂す、開基欄室關牛明暦三年化すと云、本堂六間巽に向へり、願王山の三字を扁す、本尊如意輪観音長八寸木の坐像なり、慈覚大師の作なりと云傳ふ、又子安延命地蔵を安ず坐像にして長六寸作知らず、惣體墨塗にして玉眼の像、この像は相州一の澤弾誓上人の守佛にして靈像なり、久しく爰に安置せしが寛延三年の頃より遠近の人大に崇信して屢霊験の聞えありければ、農民等子孫の繁栄を祈らんがため一夜づつ宿して祈念しけり、このこと遠近にきこへて近き頃は四月より七月までの間は江戸の中及び近郷を廻り、各一夜づつを宿して後は寺にかへり本堂に安ず、故に俗に一夜地蔵と呼り。
白山辨財天第六天天神稲荷秋葉合社。本堂に向て左にあり二間に一間半。
古碑。本堂の後なる丘上にあり、青石の碑にして上に三尊の彌陀を彫り下に天文三年と刻す、其餘は剥落して讀べからず。 (新編武蔵風土記稿より)
眞福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 観音霊場 | 観音、お開帳、巡礼、札所
参考資料
- 新編武蔵風土記稿