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日野春日神社|横浜市港南区日野中央の神社

日野春日神社の概要

日野春日神社は、横浜市港南区日野中央にある春日神社です。日野春日神社は、京都仁和寺の尋清僧都が康和元年(1099)当地に止宿、武蔵大守藤原成実卿より僧都に与えられた紫冠帯剣の神像を、春日山の中腹に神像を奉安して、穂井の神社と称したといいます。日野郷四村(吉原村・金井村・宮下村・宮ヶ谷村)の総鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治41年村内の無格社22社を合祀、大正2年には神饌幣帛料供進社に指定されました。

日野春日神社
日野春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 天児屋根命、受持命、山宮神
相殿 天照大神、伊弉諾命、大己責命、素戔嗚尊、国常立命、建御名方命、金山彦命
境内社 -
住所 横浜市港南区日野中央2-9-3
祭日 例大祭9月1日
備考 -



日野春日神社の由緒

日野春日神社は、京都仁和寺の尋清僧都が康和元年(1099)当地に止宿、武蔵大守藤原成実卿より僧都に与えられた紫冠帯剣の神像を、春日山の中腹に神像を奉安して、穂井の神社と称したといいます。日野郷四村(吉原村・金井村・宮下村・宮ヶ谷村)の総鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治41年村内の無格社22社を合祀、大正2年には神饌幣帛料供進社に指定されました。

新編武蔵風土記稿による日野春日神社の由緒

(宮下村)
春日社
除地、三段、字春日の山上にあり、石階數十級を上り平土あり、爰に土俵をめぐらし、八月朔日、九月九日の二度、相撲を興行し、且鶴岡八幡社人来て湯立をなせり、爰より又石階あり、左右に老杉並び建り、社は一間半に一間餘、神體は二體ある由見ることを許さず、厨子に長一尺四寸五分と記せり、前立に文殊を置獅子に乗れり、日野四村の惣鎮守なり、村内得音寺の持、社内に圓き額の如きもの三枚あり、古物と見ゆれど文字もなければ其圖は載せず。
御手洗池。社後にあり、水を湛る所五六尺に九尺程、諸人にこの水を飲む時は萬病を治すと云。
御靈権現社。向て右にあり、小社、下同じ、棟札あり、表の中央に奉新建立御靈位山宮神御社、左の下邊に卿中惣宇治子中、裏に寛永十四丁丑歳極月二十九日とあり。
稲荷社。向て左にあり。
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太神宮
西北の方山頂にあり、小社、西向、古松立り、得音寺の持。
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山王社
東南の境山上にあり、南向の小社、鳥居あり、村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

「神奈川県神社名鑑」による日野春日神社の由緒

旧別当徳恩寺所蔵の縁由創興の記録によれば、康和元年(一〇九九)武蔵国太守藤原成実卿護持の霊像が霊験あらたかであったので、春日神社を創説し安置したという。徳治二年(一三〇七)七衛門尉藤原忠吉が社殿を再建し、その後領主や武将の信仰が厚く、社領金穀の寄進相次ぎ、吉原・金井・宮下・宮ヶ谷の日野郷四箇村の鎮守であった。嘉永七年、地頭久世大和守広志の助成を得て、名主高梨林右衛門の発起により社殿を造営し安政二年七月に竣工したのが現社殿である。
明治六年村社に列し、同四十一年九月村内の無格社二二社を合祀し、大正二年三月十日神饌幣帛料供進社に指定された。(「神奈川県神社名鑑」より)

「港南の歴史」による日野春日神社の由緒

旧別当職徳恩寺所蔵の「記録」によると、康和元年(一〇九九)九月、京都仁和寺の尋清僧都が、この地に錫を止めたととろ、尋清僧都に帰依する、武蔵の大守藤原成実卿は、守神である紫冠帯剣の神像を、僧都に与えたので、僧都は、春日山の中腹に、神祠を建立して神像を奉安し、穂井の神社と称して、自らは別当となって、傍に堂宇を建立、藤原成実卿が、諸寺に懇請して得たる五霊像を堂に安置したという。穂井の神社は現在の春日神社の前身であり、傍の尋清僧都が住した堂宇が、徳恩寺の前身の真如院であった。
春日神社は、吉原、宮下、金井、宮ヶ谷の日野郷四ヶ村の総鎮守であった。時には類焼を受け、また雷火によるなど社殿の荒廃を見るに至ったが、嘉永七年(一八五四)に、時の領主久世大和守守源広志の助を得て、名主高梨林右衛門政栄が発起人となって、社殿の造営を起し、安政二年(一八五五)七月竣工を遂げたのが、現在の社殿である。
明治七年(一八七四)村社に列せられ、明治四一年(一九〇八)九月、村内の無格社二二社を合肥し、大正二年(一九一三)三月一一日神饌幣帛料供進社に指定された。
日野川にかかる石の神橋を渡り神明形の石の鳥居をくぐると、社前にいたる石段は全部で九四級、付近の広大な団地化に反して、実に静寂な神苑のただずまいを見せている。(「港南の歴史」より)

境内掲示による日野春日神社の由緒

旧別当職徳恩寺所蔵の「元禄6年(1693)の記録」によると、康和元年(1099)9月、京都仁和寺の尋清僧都が、この地に錫を止め、神祠を建立して神像を奉安し、穂井の神社と称して、自らは別当となって傍に堂宇を建立しました。穂井の神社は、現在の春日神社の前身であり、尋清僧都が住した堂宇が徳恩寺の前身の真如院でした。
春日神社は、宮ヶ谷・宮下・金井・吉原の日野郷四ヶ村の総鎮守であったといいます。
時には類焼を受け、また雷火によるなど社殿の荒廃を見るに至りましたが、嘉栄7年(1854)に、時の領主久世大和守源広志の助を得て、名主高梨林右衛門政栄が発起人となり、社殿の造営を起し、安政2年(1855)7月竣工を遂げたのが現在の社殿です。社殿は数々の彫刻で飾られ、欄間には十二支や花鳥が描かれています。(社団法人横浜国際観光協会・横浜市教育委員会文化財課掲示より)


日野春日神社所蔵の文化財

  • 春日神社本殿・幣殿・拝殿附棟札一枚(横浜市指定有形文化財)
  • 春日神社の社叢林(横浜市指定天然記念物)

春日神社本殿・幣殿・拝殿附棟札一枚

春日神社は古来日野四村(吉原村・金井村・宮下村・宮ヶ谷村)の総鎮守で、社殿は拝殿と本殿を両下造の幣殿で繋いだ権現造です。
拝殿は、入母屋造、桟瓦葺、正面に銅板葺・唐破風向拝を付けており、十二支の彫物、波に千鳥、花に唐獅子、松に鷹などの彫物がそれぞれ施されています。また、内部の格天井には彩色画が描かれています。幣殿は両下造、桟瓦葺で、本殿は、入母屋造、桟瓦葺で、細部は、拝殿とほぼ同様です。
当社殿は、細部に彫物を多用し、また拝殿向拝水引虹梁や繋虹梁の絵様はそれぞれ波に鯉、波に紅葉を紋様化した装飾的なもので、幕末期特有の様相を示していて貴重です。(横浜市教育委員会掲示より)

春日神社の社叢林

春日神社の社叢林は、日野中央公園の樹叢と一体を成して海抜四〇メートル前後の南東及び南向きの三〇度から五〇度の斜面上に発達しています。正面に向かって右側と左側の斜面及び神社の裏山に発達した馬蹄形の見事な照葉樹林で、市内に残された郷土樹林の典型的なものといえます。樹林は、高木層、亜高木層、低木層から成り、高木層は樹高二五メートル以上で、樹林の九〇パーセント以上を覆っています。
高木層の主な樹種は、スダジイ(樹林全体の五〇パーセント以上を占める)、ウラジロガシ、モチノキ、ケヤキなどが、また、亜高木層には、ヤブツバキ、モチノキが多く、アラカシ、タブノキ、イロハモミジなども生育しています。(横浜市教育委員会掲示より)

日野春日神社の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川県神社名鑑」
  • 「港南の歴史」