上大岡鹿島神社|鎌倉時代以前の創建
上大岡鹿島神社の概要
上大岡鹿島神社は、横浜市港南区上大岡西にある鹿島神社です。上大岡鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、建久2年(1191)銘の棟札が残されていることから、建久2年(1191)以前の創建ではないかといいます。明治6年村社に列し、明治41年無格社三社を合祀したといいます。
社号 | 鹿島神社 |
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祭神 | 建御雷命 |
相殿 | 岐之宮、来名戸神、道祖神、寮神 |
境内社 | 稲荷社、弁天社、地神社、御巌社 |
住所 | 横浜市港南区上大岡西3-12-38 |
祭日 | 例大祭8月22日 |
備考 | - |
上大岡鹿島神社の由緒
上大岡鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、建久2年(1191)銘の棟札が残されていることから、建久2年(1191)以前の創建ではないかといいます。明治6年村社に列し、明治41年無格社三社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による上大岡鹿島神社の由緒
(上大岡村)
鹿島社
免田一段五畝十九歩、見捨地六段四畝、南の方山上にあり、本社二間に三間半、拝殿二間に三間、本地十一面観音を安置す、眞光寺持、下同じ。
末社辨天社。
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白幡明神社
見捨地、村の南にあり、小社(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による上大岡鹿島神社の由緒
創立年代は不詳であるが、元禄十五年(一七〇二)十二月の棟札に「建久二年、応永十四年、寛永十二年、天和二年」等の年号が記されており、創建は鎌倉初期にさかのぼるものとしてよい。現在の社殿は文化七年の再建で、当時は同村の眞光寺が管掌していた。明治六年村社に列し、同四十一年無格社の三社を合祀し、大正七年十一月二十日神饌幣帛料供進社に指定された。(「神奈川県神社誌」より)
「港南の歴史」による上大岡鹿島神社の由緒
創立年代は詳かでないが、当社に所蔵する棟札に、元禄一五年一二月のものがあり、建久二年(一一九一)八月一日。応永一四年(一四〇七)八月二三日。寛永一二年(一六三五)四月二八日。天和二年(一六八二) 一二月一五日。元禄一五年(一七〇二)二月二八日など各年代が記載してあるが、建久二年は、創立の年で、他は再建の年代をあらわしているのであろうと推定されている。
今の社殿は、文化七年(一八一〇)九月二一日の再建である。
祭神が武人である放に、古来より、武運長久を祈願した出征将兵の参詣が、夥しかったという。
明治維新前までは、大岡山眞光寺が、別当職であったが、慶応四年(一八六八)三月二八日の「太政官達」によって、神号、神躰から仏色を一掃する通達があり、慶応四年閏四月四日の「太政官達」で、寺院の別当職禁止、神職の身分についての規定が通達されて、当社御神躰は、十一面観世音菩薩であったので、眞光寺に還納し、眞光寺は別当職を退いた。
境内に欝蒼とする樹木は、神域に静寂の気を漂わし、神明形の鳥居をくぐって、五一級の石階を登り切ると、豁然と社前の広場がひろがる。
当社は、明治六年に村社に列せられ、同四一年に、村内にあった無格社の弁天社、白幡明神社など三社を合併合祀して、大正七年一一月二〇日に、神饌幣帛料供進社に指定された。(「港南の歴史」より)
上大岡鹿島神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「港南の歴史」