大石神社|大きな石を神体として在原業平を祀る
大石神社の概要
大石神社は、横浜市緑区長津田町にある神社です。大石神社の創建年代等は不詳ながら、大きな石を神体として在原業平を祀り、武蔵国と相模国の国境に鎮座していたといいます。その後村民の争いの結果当地に鎮座、大正12年には五月神明社、稲荷社を合祀したといいます。
社号 | 大石社 |
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祭神 | 大石大神 |
相殿 | 神明大神、稲荷大神 |
境内社 | 大石稲荷社 |
住所 | 横浜市緑区長津田町2322 |
祭日 | 7月24日 |
備考 | 旧村社 |
大石神社の由緒
大石神社の創建年代等は不詳ながら、大きな石を神体として在原業平を祀り、武蔵国と相模国の国境に鎮座していたといいます。その後村民の争いの結果当地に鎮座、大正12年には五月神明社、稲荷社を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による大石神社の由緒
(長津田村)大石権現社
除地詳ならず、高札場の邊の丘上にあり、此社あるを以て字をも大石山と呼り、當社は在原業平朝臣を祭れるなりと云、神體は石にてその大さ人の容に同じ、相傳ふ昔は相州の境にありて兩國の百姓あらそひをこりしが、その後當村のものに定りしにより、此地へ祭りしと云、朝臣東國へ下向し、死して石に化したりと云、尤無稽の説なること論をまたず、されど當所に祭ることも舊きことと見えて、石階の上の左右に古木四株ならびたてるさまなり、すべて社地の生ひしげりたるをしれば、古代よりの地なること誣ゆべからず、本社の上に覆屋あり、三間に四間、例祭は年々六月二十四日、不動院の持。
神明社
大石権現社の後にあり、この祠あるを以て、此所の字をも御伊勢の宮と呼り。これはもと秣場の内へ勧請せしを、いつとなく土人渇仰して、一間ばかりの祠とせりとぞ、故に除地と云ものなしと云り。これも福泉寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による大石神社の由緒
創立年代は不詳であるが、新編武蔵風土記稿に「元長津田村大石権現社と称し、在原業平朝臣を祀ったものと伝う。」神体は石でその大きさ人の容に同じく、昔は相州境にあったが、武蔵、相模両国の百姓各々其の帰属を主張して譲らず、争となったが、神意により遂に武蔵に鎮座したものと言われる。元禄七年五月領主岡野平兵衛房恒等社殿を修覆し、更に宝暦二年六月社殿を造営した旨が現存の棟札に記されている。大正十二年五月神明社、稲荷社を合祀、同年九月関東大震災により本殿崩壊したので宮内省より御用材を賜わり再建した。(「神奈川県神社誌」より)
大石神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿