薬王山福泉寺。関東八十八カ所霊場、関東九十一薬師霊場、武相寅歳薬師如来霊場
福泉寺の概要
高野山真言宗寺院の福泉寺は、薬王山医王院と号します。福泉寺は、地頭岡野平兵衛房恒が開基、栄存が開山となり、王子神社の別当寺として創建、慶安2年には寺領4石5斗の朱印状を拝領したといいます。関東八十八カ所霊場65番、武相寅歳薬師如来霊場23番、関東九十一薬師霊場17番となっています。
山号 | 薬王山 |
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院号 | 医王院 |
寺号 | 福泉寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 横浜市緑区長津田町3113 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福泉寺の縁起
福泉寺は、地頭岡野平兵衛房恒が開基、栄存が開山となり、王子神社の別当寺として創建、慶安2年には寺領4石5斗の朱印状を拝領したといいます。関東八十八カ所霊場65番、武相寅歳薬師霊場23番、関東九十一薬師霊場17番となっています。
新編武蔵風土記稿による福泉寺の縁起
(長津田村)福泉寺
境内御朱印地の内、字中村にあり、恩田村徳恩寺の末なり、薬王山と号し、医王院と称す、これも地頭岡野房恒が開基にして、兼て鎮守の別当寺とせり、開山は僧栄存と云、遷化の年代をしらず、もとわづかなる寺院なりしが、慶安二年大林寺と同く、寺領四石五斗の御朱印を賜ひしよりこのかた、今の如き寺院となれりとぞ、本堂六間に七間、本尊不動を安ず。
山王社。本堂の向ひにあり、境内の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による福泉寺の縁起
当山の開山は僧栄存。文禄から慶長の頃(1592-1600)、当地の領主岡野房恒公が村の鎮守として勧請した王子権現(王子神社)の別当寺として開創。江戸時代は、領主岡野家の祈願所として、領主の庇護の下、田畑山林の寄進を受け、又、徳川幕府から御朱印四石五斗を賜り、祈祷寺として栄えたが、明治二十年頃、失火のため伽藍は全焼。一時、無住の時代もあり、寺運は衰退の一途を辿った。現存の本堂は昭和四十五年の再建。客殿は平成五年に完成したものである。(境内掲示より)
福泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿