十二神社|久世大和守が本牧の十二天社を勧請
十二神社の概要
十二神社は、横浜市緑区北八朔町にある神社です。十二神社は、当地の領主だった久世大和守が本牧の十二天社(現本牧神社)を勧請して慶安2年(1477)創建、十二天社と称し、北八朔村の鎮守社だったといいます。大正5年神饌幣帛料供進社に指定され、北八朔町の鎮守として祀られているといいます。
社号 | 十二神社 |
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祭神 | 伊邪那岐命 |
相殿 | 木花咲耶姫命、菅原道真公 |
境内社 | 小御岳、浅間宮、天満宮 |
住所 | 横浜市緑区北八朔町1266 |
祭日 | 10月2日 |
備考 | - |
十二神社の由緒
十二神社は、当地の領主だった久世大和守が本牧の十二天社(現本牧神社)を勧請して慶安2年(1477)創建、十二天社と称し、北八朔村の鎮守社だったといいます。大正5年神饌幣帛料供進社に指定され、北八朔町の鎮守として祀られているといいます。
新編武蔵風土記稿による十二神社の由緒
(北八朔村)
十二天社
除地、二十八歩、村の中央にあり、上屋三間に一間半東向なり、内に小祠を置、例祭は年々八月五日、村の鎮守にて村民の持なり、勧請は慶安二年久世大和守領地の時、久良岐郡本牧にある十二天を當村にも勧請せりと云、社前に鳥居あり。
末社辨天社。右の方にあり。
天神社
見捨地、三坪許、字天神木にあり、北向なり、村民の持。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による十二神社の由緒
慶安二年、久世大和守が、久良岐郡本牧にある十二天を勧請したと新編武蔵風土記稿には記している。大正五年五月二十一日神饌幣帛料供進社に指定され、爾来北八朔町の鎮守として篤く崇敬されている。(「神奈川県神社誌」より)
境内掲示による十二神社の由緒
武蔵風土記によれば、十二神社は旧称十二天社と称し慶安二年、一四四七年久世大和守領地の時、武蔵国久良岐郡本牧の十二天社を当村に勧請せりと記されている。
北八朔の十二神社(十二天社)の命名の元と思われる、本牧十二天社の天像が明治初年の神仏分離令により本牧十二天社の別当地であった多聞院に分けられ十二天社は大日霊女命(別名・天照大御神)を祀り本牧神社と改称されております。
現在本牧十二天社は中区本牧の和田山に本牧神社として御遍座されております。十二神社の祭神(木花咲耶姫命)と本牧神社の祭神(木花咲耶姫命)を祭っていることから、北八朔町の十二神社の名称も、同時期頃に十二天社から十二神社に改称されたものではないかと推定される。(境内掲示より)
十二神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿