長延寺。元和元年小机に創建、昭和41年当地に移転
長延寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の長延寺は、命歸山と号します。長延寺は、本願寺顕如上人の弟子玄榮法師が元和元年(1615)小机に創建、寛永8年(1631)神奈川新町へ移転。昭和41年当地に移転したといいます。
山号 | 命歸山 |
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院号 | - |
寺号 | 長延寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 横浜市緑区三保町2440 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | 長延寺山水閣 |
備考 | - |
長延寺の縁起
長延寺は、本願寺顕如上人の弟子玄榮法師が元和元年(1615)小机に創建、寛永8年(1631)神奈川新町へ移転。昭和41年当地に移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による長延寺の縁起
(神奈川町新町)長延寺
西側なり。京六条西本願寺末なり、海見山と号せり。元和元年僧玄永起立せり。其頃は小机村にありしが、いつの頃か当所へうつせりと云。この玄永は本願寺顕如上人の弟子なり。元和6年7月12日寂せり。本堂7間に6間半巽向なり。本尊阿弥陀長2尺余の立像なり。恵心僧都の作といひ傳ふれどもたかしならず。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による長延寺の縁起
長延寺
位置及寺格
長延寺は海見山と號し、神奈川區神奈川町字新町百二十九番地にある。境内は九百四十四坪。二百五十二坪は官有地、六百九十二坪は民有地。西本願寺の末寺で寺格は上座二等である。
沿革
元和元年、玄榮法師の創立した所である。初は小机村に在つたが、寛永八年に、現境内に移り、享和三年九月に、銅鐘を再鑄した。文政の頃の本堂は、七間に六間半と云ふ。開港の當時、當山は和蘭領事館に充てられたことがある。明治元年一月七日、宿中の大火に類焼したので、明治十二年に本堂を再興し、同三十九年に庫裡を造立した。大正十二年九月一日の大震災に、鐘樓が倒潰し、未だ舊觀に復さぬ。
本尊
本尊は阿彌陀如来立像、高二尺餘、傳に惠心僧都作である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
長延寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
- 久保山舊城寺山門
参考資料
- 新編武蔵風土記稿