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猫の足あと

耕雲庵。横浜市緑区長津田町にある曹洞宗寺院

耕雲庵の概要

曹洞宗寺院の耕雲庵は、種月山と号します。耕雲庵は、当地に種月耕雲道心が虚空蔵菩薩を奉じて庵室を結び、元禄元年(1688)頃に大林寺八世久庵冏良和和尚を請じて開山したと言います。安政4年(1857)には関根範十郎氏を塾長として紅林塾が開校、横浜市長津田小学校の基礎を築いたといいます。昭和25年境内地拂下げにより大林寺飛地境内地となりました。

耕雲庵
耕雲庵の概要
山号 種月山
院号 -
寺号 耕雲庵
本尊 虚空蔵菩薩像
住所 横浜市緑区長津田町4312
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



耕雲庵の縁起

耕雲庵は、当地に種月耕雲道心が虚空蔵菩薩を奉じて庵室を結び、元禄元年(1688)頃に大林寺八世久庵冏良和和尚を請じて開山したと言います。安政4年(1857)には関根範十郎氏を塾長として紅林塾が開校、横浜市長津田小学校の基礎を築いたといいます。昭和25年境内地拂下げにより大林寺飛地境内地となりました。

新編武蔵風土記稿による耕雲庵の縁起

(長津田町村)耕雲庵
岡部谷にあり、大林寺の寮なり(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑よる耕雲庵の縁起

種月山耕雲庵再建碑
耕雲堂の由来は種月耕雲道心念持佛の虚空蔵菩薩を奉じ桐ケ谷後背に山居した。人呼んで耕雲谷戸と称し地自ら谷に水あり山に柴あり聖胎を養ふと云とも当時未開にして、野猪群をなしたと云ふ。由って地を岡部谷戸に改め自ら一宇を開基大林寺八世久庵冏良和和尚を請じて開山す。時元禄元年頃なり。
その地此処にて聖胎長浪せし十五世萬眼和尚金光最勝王経を書写し厨子に収めて今尚存す。次に緜山蜜紹上空佛音是等尚沙住した。移転後のお堂は山頂远くに五間四面の建物があったが風水害による崖崩により現在の位置まで下り、大正十一年春岡部〇〇川が改築七坪のクラブ兼用で現在に至った。
昭和二十五年四月境内地拂下げにより大林寺飛地境内地となる。当時境内地四反三畝十二歩、山林一反三畝二十六歩也、此の御堂により関根範十郎信友先生が安政四年紅林塾を開き塾生を養育した寺子屋也。現在長津田小学校の発祥の地也。此の度お堂を再建するにあたつては岡部及辻その他の地区の信徒の篤い帰依によりブロックコンクリート建て九坪昭和四十八年末に竣工した。
昭和四十九年一月十三日虚空蔵菩薩の縁日に慶祝落慶するに当り、多数の信徒により山号牌献香及び佛具等に献納金が寄せられた。
維時昭和四十九年正月 大林寺二十六世大雲実英記(境内石碑より)


耕雲庵所蔵の文化財

  • 長津田小学校発祥の地

長津田小学校発祥の地

今をさかのぼる百数十年前の安政四年(一八五七)岡部谷戸のこの地に関根範十郎氏を塾長として長津田一円の子供達を教育した紅林塾があった。明治五年、学制発布。翌六年には村立長津田学舎となる。
その後、幾多の変遷を経て、昭和二十年、横浜市長津田国民学校として独立し昭和二十二年、横浜市長津田小学校となり現在に至る。
平成二十七年度、創立七十周年記念事業にあたり学校の益々の繁栄を祈念しここに建立するものとする。平成二十八年三月吉日(境内石碑より)

耕雲庵の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿