慈雲山大林寺。江戸幕府より寺領15石の御朱印状
大林寺の概要
曹洞宗寺院の大林寺は、慈雲山と号します。大林寺は、当地の領主岡野平兵衛房恒が開基、清源院五世麟哲(慶長13年1608年寂)が開山となり創建、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 慈雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 大林寺 |
本尊 | 釈迦無尼佛像 |
住所 | 横浜市緑区長津田6-6-24 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | 大林寺山水閣 |
備考 | - |
大林寺の縁起
大林寺は、当地の岡野平兵衛房恒が開基、清源院五世麟哲(慶長13年1608年寂)が開山となり創建、慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領したといいます。開山の英顔麟哲は、当寺のほか小山保寿院・大曾根大乗寺・宮山興全寺・小谷福泉寺・東富岡龍珊寺を開山しています。
新編武蔵風土記稿による大林寺の縁起
(長津田村)大林寺
境内四千六十坪、小名御前田にあり、禅宗曹洞派、相州愛甲郡三田村清源院の末にて、慈雲山と号す、開山は清源院五世の僧麟哲なり、当寺の開闢せし年代はたしかに傳へずといへども、この僧は慶長十三年七月二十二日示寂すと云ときは推てしるべし、開立の来由を尋ぬるに、此村の地頭岡野平兵衛房恒、天正十八年北条家に属し、岩槻の城に籠りしが、没落の後隣村恩田村に蟄居せしを召出されて、御家人に列しけり、その時采邑として当所を賜はり、この地へ陣屋をかまへたり、その後老父岡越中入道江雪が、菩提の為に当寺を起立せしと云、按に系図に江雪入道は、慶長中伏見にて没せしと云ときは、天正文禄の頃にや、江雪が此寺を開基せしも知べからず、本堂十間に八間半、本尊釈迦を安置す、当寺の寺領十五石余は慶安二年八月二十四日、大猷院殿より御朱印を賜ひし所にして、今も寺領かはらず。
鐘楼。堂に向て右にあり、鐘は寛政年中開山二百年忌の時始て鋳たりと云、銘文あれど略せり。
閻魔堂。本堂の正面にあり、二間半に三間ほど楼門の状につくれり。昔はこの所に山門ありに、五六十年前回禄にあひて後、再造にちから無して、もとより門の西にありし十王堂をここへ再興し、僅に山門のかたちを存せしと云。
鎮守社。門を入て左にあり、小社なり。境内の古図を閲るに、東南の隅に稲荷弁天等の小社あり、是らの祠今はなし。
衆寮。十王堂の正面にあり、この門の内外に少く坂あり。(新編武蔵風土記稿より)
大林寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿