雨寶山萬福寺。平戸大學が開基、東国八十八ヵ所霊場
萬福寺の概要
高野山真言宗寺院の萬福寺は、雨寶山瑠璃院と号します。萬福寺は、平戸大學が開基となり、長雄(寛永元年1624年寂)が開山したといいます。東国八十八ヵ所霊場62番です。
山号 | 雨寶山 |
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院号 | 瑠璃院 |
寺号 | 萬福寺 |
住所 | 横浜市南区大岡5-39-17 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
萬福寺の縁起
雨寶山萬福寺は、平戸大學が開基となり、長雄(寛永元年1624年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による萬福寺の縁起
(下大岡村)
萬福寺
境内、見捨地、村の南なり、同寺(古義眞言宗、石川寶生寺)の末、瑠璃山と號す、開山僧長雄寛永元年三月五日寂す、村民藤七が先祖、平戸大學が開基せし處なり、本堂五間半に四間半、薬師を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による萬福寺の縁起
萬福寺
位置及寺格
萬福寺は、雨寶山瑠璃院と號し、中區大岡町字、谷戸ノ前千五百九十八番地にある。境内は百九十坪。民有宅地。大本山、高野山金剛峯寺直末、十五等格院である。
沿革
開基は平戸大學、開山は長雄である。長雄は寛永元年三月五日入寂すと云へば、當寺の草創は德川時代の初期と推定される。寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末竝寺領有無帳に、石川寶生寺末、御除と見える。神佛分離以前は、神明社・鹿島社・諏訪社、及び第六天社の別當を兼帶して居た。明治三年、本堂を再建した。同七年、元町增德院の末寺となり、大正十五年六月二十九日、更に大本山高野山金剛峯寺の末寺となつた。
本尊
本尊藥師如來の坐像高七寸、鎌倉佛師の作、脇侍日光・月光は各高七寸五分である。
堂宇
現今の堂宇は、本堂(桁行五間半、梁間四間半、四注造、草葺。)及び庫裡(桁行四間半、梁間四間、草葺。)である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
萬福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」