伊勢山皇大神宮|伊勢山にあった大神宮を明治3年に野毛山へ遷座、横浜の総鎮守
伊勢山皇大神宮の概要
伊勢山皇大神宮は、横浜市西区宮崎町にある神社です。伊勢山皇大神宮は、伊勢山にあった大神宮を明治3年に野毛山へ遷座、神祇省により伊勢山皇大神宮と改称して横浜の総鎮守と定められたといい、明治8年県社に列格したといいます。
社号 | 伊勢山皇大神宮 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | 杵築宮・子之大神、三輪明神御分霊大神神社 |
住所 | 横浜市西区宮崎町64 |
祭日 | 例大祭5月15日 |
備考 | - |
伊勢山皇大神宮の由緒
伊勢山皇大神宮は、伊勢山にあった大神宮を明治3年に野毛山へ遷座、神祇省により伊勢山皇大神宮と改称して横浜の総鎮守と定められたといい、明治8年県社に列格したといいます。
「横浜西区史」による伊勢山皇大神宮の由緒
伊勢山皇大神宮
宮崎町六四。宮司龍山庸道。祭神天照皇大神。もと戸部村東部の伊勢山(現在の掃部山公園東北端あたり)にあった大神宮(「武蔵風土記稿、戸部村」)を、明治三年神奈川県権知事井関盛艮の告諭により、野毛山に遷して伊勢山皇大神宮と称え、横浜の総鎮守と定めた。翌四年四月十五日神殿造営の工が成り、正遷宮式執行。これより所在地は伊勢山と呼ばれた。社殿は大正十二年の関東大震災で倒壊焼失したが、昭和三年再建復興した。境内社、本殿左側に、杵築宮・子の大神(子神社はもと野毛の鎮守で、旧所在地野毛町)。裏参道に水神宮。神殿唯一神明造、鋼板茸。境内三千九百五十五坪。例祭日五月十五日。境内には明治十年西征陣亡軍人之碑(明治一二年建立)、以徳報怨・蒋公領徳碑(昭和六一年)、万葉歌碑(犬養孝書・昭和六三年)などがある。(「横浜西区史」より)
新編武蔵風土記稿による伊勢山皇大神宮の由緒
(戸部村)
太神宮
除地、三畝許、村内延命寺持
(中略)
子神社
除地、三畝、野毛の鎮守なり、村内大聖院持、以上四社皆東の方にあり (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による伊勢山皇大神宮の由緒
当宮は横浜が開港場となった明治三年十一月、神奈川県より太政官へ内外教化の別を明らかにするため、天祖を伊勢山の地に奉斎せんとの建白書を出した。同年九月神祇省から「伊勢山大神宮の儀、官国幣社等外別格に処し云々」と定められた。又神奈川県は告諭書を以て「伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し、国家の鎮護を祈り、人民をして崇敬胆仰せしめんとす云々」と布告し、横浜総鎮守に制定せられ、明治八年県社に列した。神社本庁別表神社。(神奈川県神社誌より)
伊勢山皇大神宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿