横濱厳島神社|横浜市中区羽衣町の神社

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横濱厳島神社|源頼朝が伊豆国土肥から勧進、横濱村の鎮守

横濱厳島神社の概要

横濱厳島神社は、横浜市中区羽衣町にある厳島神社です。横濱厳島神社は、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進して治承年間(1177-1181)に創建、横濱村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には幕府より社領6石1斗の御朱印状を拝領、洲乾の出洲に鎮座していたことから、洲干弁天・清水弁天・横浜弁天とも称されていたといいます。明治2年(1869)当地へ移転したといいます。

横濱厳島神社
横濱厳島神社の概要
社号 厳島神社
祭神 市杵島姫命、多岐理姫命、多岐津姫命
相殿 -
境内社 銭洗弁天社、豊受稲荷神社
住所 横浜市中区羽衣町2-7-1
祭日 -
備考 -



横濱厳島神社の由緒

横濱厳島神社は、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進して治承年間(1177-1181)に創建、横濱村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には幕府より社領6石1斗の御朱印状を拝領、洲乾の出洲に鎮座していたことから、洲干弁天・清水弁天・横浜弁天とも称されていたといいます。明治2年(1869)当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による横濱厳島神社の由緒

(横濱村)辨天社
社地、一丁一段十五歩、洲乾の出洲にあり、土人清水辨天と呼ぶ、慶安二年社領六石一斗五合の御朱印を賜へり、村の鎮守なり、社中には前立の像のみを置、神體は元禄中より別當増徳院境内假殿に安し、彼所にては杉山辨天と唱ふ、坐像長二尺程、弘法大師の作、此社地は海面に望勝景の地なれば遊客神奈川驛より乗船して至る者多し。 (新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による横濱厳島神社の由緒

治承年中源頼朝が伊豆国土肥の杉山に鎮座の弁財天を勧請し、元禄年中、別当増徳院の境内に御神体を奉安したという。神社庁指定神社。(神奈川県神社誌より)


横濱厳島神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿