和田山琴平神社|室町時代創建
和田山琴平神社の概要
和田山琴平神社は、横浜市中区和田山にある琴平神社です。和田山琴平神社は、文明13年(1481)当地に創建したといいます。
社号 | 琴平神社 |
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祭神 | 金山彦命、大物主命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社 |
住所 | 横浜市中区和田山1-35 |
祭日 | 例大祭5月10日/10月10日 |
備考 | - |
和田山琴平神社の由緒
和田山琴平神社は、小田原北条氏の家臣橋本伊賀守が天正4年(1576)に守護神として創建、天徳寺が管理していたといいます。戦後、米軍駐留により北方皇太神宮で奉斎していたものの、平成3年当地に再建したといいます。
新編武蔵風土記稿による和田山琴平神社の由緒
記載なし (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による和田山琴平神社の由緒
当社の創立は天正四年(一五七六)、橋本伊賀守の守護神として創建したと伝える。神仏分離までは天徳寺の住職が別当を兼ねた。去る昭和二十年横浜大空襲の際炎上、駐留軍の進駐と同時に該地区は接収せられ、未だ再建不能の状態である。祭事は中区西之谷なる皇太神宮にて斎行している。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による和田山琴平神社の由緒
当神社は、小田原北條家に属せし、橋本伊賀守がその守護神として奉斎し、正親町天皇の御宇天正四年(室町時代)に創建された神社と言われている。
天徳寺の持神社であった琴平神社が、明治政府の神仏分離政策に基づき、お寺より離れて、神社として祭祀を行う事と成った。
大正十二年九月の関東大震災で総欅権現造りの社殿を始め、社務所・石鳥居・六十九段の石段等が倒壊したが、昭和三年の昭和天皇御大典を記念して、社殿・社務所を再建し、更に昭和六年に木造鋼板張の鳥居及び堅石造りの石段をも復活させて、旧来の神社の姿に蘇った。
その御神徳は顕著にして、本牧・根岸の地元は基より、遠く房総方面からも参拝者が有り、特に漁業関係者の信仰が厚かった。
しかし乍ら、昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲に依り、社殿を含む一切の建物、工作物が消失し、更には終戦後、進駐軍が境内地を含む附近一帯を接収した為に、神社の再建が出来ず、仮に中区西之谷に鎮座する北方皇太神宮に、奉斎して祭祀を行っていた。
平成元年に接収解除に伴う横浜市の区画整理事業も終了し、戦前の鎮座地(中区本牧字天徳寺七〇八番地)が山頂公園計画地の内に含まれている為、その近くの現在地に換地され、平成三年五月に四十五年振りに、社殿・社務所等を再建して、仮鎮座地の北方皇太神宮より遷座し現在に至っている。(境内掲示より)
和田山琴平神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿