長者町清正公堂。大正3年平沼町に創建
長者町清正公堂の概要
日蓮宗寺院の長者町清正公堂は、熊本発星山本妙寺から栄玉山常清寺に赴任した常清寺第十世不染院日亮上人(文化9年1813年寂)が、長者町にあった常清寺境内に開堂、戦災により常清寺は南区清水ヶ丘に移転したものの、清正公堂は、長者町の初代吉田勘兵衛住宅跡に別院として建立したといいます。初代吉田勘兵衛は、万治2年(1659)に入海だった当地を埋め立てて新田開発、新田開発の功により名字帯刀を許されて吉田勘兵衛と名乗り、村名を吉田新田と称し、1,300石の田畑所有を許された名主で、常清寺を開基しています。

山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 横浜市西区長者町9-168 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長者町清正公堂の縁起
長者町清正公堂は、熊本発星山本妙寺から栄玉山常清寺に赴任した常清寺第十世不染院日亮上人(文化9年1813年寂)が、長者町にあった常清寺境内に開堂、戦災により常清寺は南区清水ヶ丘に移転したものの、清正公堂は、長者町の初代吉田勘兵衛住宅跡に別院として建立したといいます。初代吉田勘兵衛は、万治2年(1659)に入海だった当地を埋め立てて新田開発、新田開発の功により名字帯刀を許されて吉田勘兵衛と名乗り、村名を吉田新田と称し、1,300石の田畑所有を許された名主で、常清寺を開基しています。
「横浜西区史」による長者町清正公堂の縁起
清正公堂縁起
通称「長者町の清正公様」と呼ばれる清正公堂は、開運の守護神(勝負の神様)としてご利益があり、熊本の発星山本妙寺より栄玉山常清寺第十世住職として迎えられた不染院日亮上人(文化九年(一八一三年)・一一・二二遷化)が、長者町の境内に開堂供養したものであります。
清正公堂に奉安された清正公大尊祇は、開運の守護神として霊験まことに顕著であり、江戸時代より広く庶民大衆に崇敬されてまいりました。戦災により常清寺は南区清水ヶ丘に移転しましたが、境内に安置してありました清正公堂の別院を、当地長者町九丁目の吉田新田埋立地・初代吉田勘兵衛住宅跡に建立し、地域の発展と充実に寄与するものとしたのであります。毎年、五月四日、五日に行われる五月大祭には、ご運強かった清正公にあやかって人生の苦悩に打ち勝ち幸運に恵まれますよう「しょうぶ入り御勝守」が授与されます。これは「勝負に勝る」という意味のお守りで、清正公信仰のみなもととして遠近から多数の参詣祈願者が訪れております。
行事
一、清正公五月大祭 五月四日、五日しょうぶ入り御勝守授与
二、清正公正当会 六月二十四日 午前十一時
三、信行会 毎月二十四日 午前十一時
吉田興産株式会社(境内掲示より)
長者町清正公堂の周辺図
参考資料
- 横浜西区史(西区教育委員会)
参考資料
- 新編武蔵風土記稿