専念山順忍寺。大正10年説教所として草創
順忍寺の概要
真宗大谷派寺院の順忍寺は、専念山と号します。順忍寺は、織田豊丸が大正10年現在地に説教所を開設、昭和4年に厚木市岡田の長徳寺塔頭順忍寺の寺籍を移して一寺としたといいます。
山号 | 専念山 |
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院号 | - |
寺号 | 順忍寺 |
住所 | 横浜市西区浅間町5-386-9 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | 順忍寺会館 |
備考 | - |
順忍寺の縁起
順忍寺は、織田豊丸が大正10年現在地に説教所を開設、昭和4年に厚木市岡田の長徳寺塔頭順忍寺の寺籍を移して一寺としたといいます。
「横浜西区史」による順忍寺の縁起
専念山順忍寺(真宗大谷派、本山東本願寺)
浅間町五-三八六-九。住職織田正尊。本尊阿弥陀如来。大正十年、織田豊丸が現在地に説教所を開設。昭和四年、織田教昭が厚木市岡田の長徳寺塔頭順忍寺の寺籍を移して一寺とした。(「横浜西区史」より)
「横浜市史稿 佛寺編」による順忍寺の縁起
順忍寺
位置及寺格
順忍寺は、專念山と號し、神奈川區淺間町六百七番地に在る。境内は三百十六坪。民有地。東本願寺の末で、寺格は平僧地である。
沿革
大正十年、織田豐丸なる者が、眞宗大谷派說敎所を現地に設立したを濫觴とする。同十二年九月一日の大震災に、堂宇が倒壊したが、同年中に再建を遂げた。同十五年、現住織田敎照、豐丸の志を繼いで布敎に努め、昭和四年二月、縣下中郡相川村大字岡田の長德寺塔頭順忍寺の寺籍を移して、一寺とした。依つて敎照を中興開山とする。
本尊
本尊は阿彌陀如來木立像、長二尺である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
新編相模国風土記稿による順忍寺の縁起
(愛甲郡上岡田村長徳寺項)
塔頭
順恩寺。開基源了、本尊阿弥陀。
應念寺。開基了覚、本尊上に同、親鸞筆六字名號を蔵す(新編相模国風土記稿より)
順忍寺の周辺図
参考資料
- 横浜西区史(西区教育委員会)
- 新編相模国風土記稿
参考資料
- 新編武蔵風土記稿