壽永山長徳寺。厚木市岡田にある浄土真宗東本願寺派寺院
長徳寺の概要
浄土真宗東本願寺派寺院の長徳寺は、壽永山慈雲院と号します。長徳寺は、浄光(建長元年1249年寂)が開基となり真言宗寺院として創建、寛喜2年(1230)に国府津眞楽寺で親鸞聖人に謁見して浄土真宗に改め、浄光坊と称していたといいます。古津久井城主内藤左近将監の推挙により北條氏直から寺領10石を受領、江戸幕府からも慶安2年(1649)寺領10石の御朱印状を受領していました。
山号 | 壽永山 |
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院号 | 慈雲院 |
寺号 | 長徳寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 厚木市岡田5-3-23 |
宗派 | 浄土真宗東本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長徳寺の縁起
長徳寺は、浄光(建長元年1249年寂)が開基となり真言宗寺院として創建、寛喜2年(1230)に国府津眞楽寺で親鸞聖人に謁見して浄土真宗に改め、浄光坊と称していたといいます。古津久井城主内藤左近将監の推挙により北條氏直から寺領10石を受領、江戸幕府からも慶安2年(1649)寺領10石の御朱印状を受領していました。
新編相模国風土記稿による長徳寺の縁起
(上岡田村・下岡田村)
長徳寺
壽永山慈雲院と號す、一向宗(東本願寺末)開基浄光(建長元年六月廿六日卒、)往昔は眞言宗なりしが、寛喜元年住僧某足柄上郡国府津村眞楽寺にて親鸞に謁し、法弟となりて當宗に改め、且師より名を與へて浄光坊と稱す、本尊阿彌陀(長一尺八寸二分)古津久城主内藤左近将監(當時の領主なり)の吹擧にて、北條氏直寺領十石を寄附す(其時の寄附状ありしが天正小田原陣に依て住僧遁れし時、紛失すと傳ふ、)慶安二年八月先規の如く寺領十石を附せられ、御朱印を賜ふ、然るに元禄十六年十一月失火して貞享二年に賜りし、御朱印と共に焼失す(小田原陣の時豊臣太閤の與へし制札も共に烏有すと云、)其後寶永四年五月再御朱印を賜はれり、
【寺寶】名號二幅。一は九字名號、一は十字なり、共に親鸞筆にて開基浄光へ授與すと云、
鐘樓。安永九年の鐘を掛く(銘に大住郡愛甲荘岡田邨とあり、此庄名誤なり、)
塔頭
順恩寺(註:現順忍寺)。開基源了、本尊阿彌陀、
應念寺。開基了覺、本尊上に同、親鸞筆六字名號を蔵す、(新編相模国風土記稿より)
厚木市史史料による長徳寺の縁起
寿永山慈雲院長徳寺(岡田1322)
一向宗東本願寺末、開基浄光建長元年六月二十六日卒、往昔は真言宗なりしが寛喜元年住僧某足柄上郡国府津村眞楽寺にて親らんに謁し、法弟となりて当宗に改め、且師より名を与えて浄光坊と称す。古津久井城主内藤左近将監(当時の領主なり)の推挙にて北条氏直寺領十石を寄附す。(其の時の寄附状ありじが天正の小田原陣に依りて住僧山中に遁れし時紛失すと伝う。)慶安二年八月先規の知く寺領十石を附せられ御朱印を賜う。然るに元禄十六年十一月失火して貞享二年に賜わりし御朱印と共に焼失す。(小田原陣の時豊太閣の与えし制札も共に烏有すと云う)、其後宝永四年五月再び御朱印を賜えり。(風土記)(「厚木市史史料」より)
長徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」