犬山町日枝社|鎌倉時代初期頃に創建
犬山町日枝社の概要
犬山町日枝社は、横浜市栄区にある日枝社です。犬山町日枝社の創建年代等は不詳ながら、光明寺が天台宗寺院だった頃に比叡山の山王社を勧請して創建したと伝えられます。光明寺が浄土真宗に改めたのは鎌倉時代初期なので、当社も鎌倉時代初期には山王社として創建したことになります。寛永17年(1640)当地へ遷座しています。
社号 | 日枝社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市栄区犬山町44-9 |
祭日 | 例大祭4月3日 |
備考 | - |
日枝社の由緒
犬山町日枝社の創建年代等は不詳ながら、光明寺が天台宗寺院だった頃に比叡山の山王社を勧請して創建したと伝えられます。光明寺が浄土真宗に改めたのは鎌倉時代初期なので、当社も鎌倉時代初期には山王社として創建したことになります。寛永17年(1640)当地へ遷座しています。
新編相模国風土記稿による日枝社の由緒
(上之村)
山王社
光明寺の持なり、彼寺天台宗にて中之村の在し頃一山守護のため、叡山坂本山王を勧請す、當村に移りし時當社は字宮ノ尾山に遷座せしが彼地は荼毘所に近ければ寛永十七年今の地(小名矣澤山)に移せしと云ふ、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による日枝社の由緒
天正年間の創立と伝える。新編風土記には「山王社、光明寺持なり、彼寺天台宗にて中野村にありし頃、一山守護の為叡山坂本の山王を勧請す、当村に移せし時は字宮の尾山に遷座せしが、彼の地は荼毘所に近ければ、寛永十七年矢沢山に遷座す」とあり、昭和四十七年三月宅地造成に伴い、更に現在地に遷座した。(神奈川県神社誌より)
「戸塚区郷土史」による日枝社の由緒
記載なし(「戸塚区郷土史」より)
犬山町日枝社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿