西光山大誓寺。旧鎌倉郡六阿弥陀
大誓寺の概要
浄土宗寺院の大誓寺は、西光山普應院と号します。大誓寺は、梅沢与次右衛門勝国が、岩瀬大長寺七世伝誉利玄(明暦2年1656年寂)を開山に招いて創建したといいます。当寺の本尊阿弥陀如来像は徳川氏の家臣加藤三左衛門が寄附したもので、旧鎌倉郡六阿弥陀のうちの一つだといいます。
山号 | 西光山 |
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院号 | 普應院 |
寺号 | 大誓寺 |
本尊 | 虚空蔵菩薩像 |
住所 | 横浜市栄区小菅ヶ谷3-46-13 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大誓寺の縁起
大誓寺は、梅沢与次右衛門勝国が、岩瀬大長寺七世伝誉利玄(明暦2年1656年寂)を開山に招いて創建したといいます。当寺の本尊阿弥陀如来像は徳川氏の家臣加藤三左衛門が寄附したもので、旧鎌倉郡六阿弥陀のうちの一つだといいます。
新編相模国風土記稿による大誓寺の縁起
(小菅ヶ谷村)
大誓寺
西光山普應院と號す、浄土宗(岩瀬大長寺末、)本尊は彌陀、承應二年利玄(相蓮社傳譽と號す、本山七世明暦元年七月十三日卒す)が建る所と云ふ、
太子堂。本尊は長二尺六寸、親鸞當村石室にて彫刻せし七躰の一なりと云ふ、
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観音堂
十一面観音(行基作の小像なり)を本尊となす、元禄中堂守の僧念稱同體(長一尺三寸、岩瀬大長寺傳には、毘首羯摩作と云ふ、)一軀を得て其肚中に舊像を収むと云へり(大長寺傳に、元禄十六年正月再建すとあれば、其時の事歟、)大誓寺持下同、
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薬師堂
僧厭譽欣求(明暦元年十一月十五日寂す)が建しと云ふ、(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による大誓寺の縁起
大誓寺(小菅谷町二六一九番地)浄土宗
西光山普応院と号し、承応二年(一六五三)四月五日、梅沢与次右衛門勝国が、岩瀬大長寺七世伝誉利玄(明暦二年七月寂)を招じて開創したもので、本尊は阿弥陀如来。この阿弥陀如来は旧鎌倉郡六阿弥陀のうちの一体といわれ、高さ三尺四寸。貞享元年五月徳川氏の家臣加藤三左衛門が寄附したものである。(「戸塚区郷土史」より)
大誓寺所蔵の文化財
- 木像聖徳太子立像一軀(横浜市指定有形文化財)
木像聖徳太子立像一軀
聖徳太子(五七四~六二二)が、十六歳の時、父用明天皇の病気平癒を祈った姿を写したと伝えるいわゆる孝養太子像です。像には墨書の銘文があり、文明元年(一四六九)に弘円(一四四二~一五二九)が造立し、貞享四年(一六八七)に修理されたことがわかります。作者の弘円は鎌倉に仏所を構え、東国で活躍した仏師で、十数件の事績が確認されています。像は面部・着衣部ともに柔軟な写実性を欠いていますが、造立年代と作者の明確な室町彫刻の佳作として、資料的価値が高い作品です。(横浜市教育委員会掲示より)
大誓寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿