田谷山定泉寺。田谷の洞穴・瑜伽洞
定泉寺の概要
真言宗大覚寺派寺院の定泉寺は、田谷山と号します。定泉寺は、鎌倉鶴岡八幡宮の供僧相承院二十五坊の僧隆継法印が開山したと伝えられます。当寺の田谷の洞穴・瑜伽洞は、昔密教の修行僧が自力求道の行として穿った道場で、建久年間(鎌倉時代)から天保年代(江戸時代末期)にかけて村民の協力により拡張整備された手彫りの洞窟といいます。
山号 | 田谷山 |
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院号 | - |
寺号 | 定泉寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 横浜市栄区田谷町1501 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
定泉寺の縁起
定泉寺は、鎌倉鶴岡八幡宮の供僧相承院二十五坊の僧隆継法印が開山したと伝えられます。当寺の田谷の洞穴・瑜伽洞は、昔密教の修行僧が自力求道の行として穿った道場で、建久年間(鎌倉時代)から天保年代(江戸時代末期)にかけて村民の協力により拡張整備された手彫りの洞窟といいます。
新編相模国風土記稿による定泉寺の縁起
(田谷村)
定泉寺
田谷山と號す、古義真言宗(武州橘樹郡鳥山村三會寺末)本尊彌陀を置く、(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による定泉寺の縁起
定泉寺(田谷町一五〇一番地)真言宗
田谷山と号し、京都嵯峨大覚寺の末寺で、本尊に阿弥陀如来を安置している。鎌倉鶴岡八幡宮の供僧相承院二十五坊の僧隆継法印の開山と伝え、寺後の丘阜にはいわゆる田谷の穴と呼ばれる大洞窟がある。伝承によれば真言宗田谷山瑜伽院と言われ、昔密教の修行僧が自力求道の行として穿った道場で、建久年間から天保年代にかけて村民の協力により拡張整備されたものと伝えられている。奥の院には朝日奈氏勧請の岩屋歓喜天が祀られている。窟内は上下五段に分かれ、通路一、五キロに及び、粘板岩の左右岩面には神仏の像・鳥獣・花卉など多く彫られ、特に修業本尊弘法大師・厄除大師・全国百八十八ヶ所の霊場の御本尊が刻まれているなど一大奇観を呈している。手掘りの洞窟としては他にあまり類を見ないもので、通風孔、排水溝、飲料水などまで設け、長期の大籠修行をするための合理性をも備えているという。(「戸塚区郷土史」より)
定泉寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿