相澤山長天寺。瀬谷村の村役場地、横浜瀬谷八福神のだるま大師
長天寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の長天寺は、相澤山と号します。長天寺は、平本六郎兵衛が開基となり、宝林宗薫大和尚禅師が応永元年(1394年)開山したといいます。明治時代には瀬谷村の村役場が当寺客殿に設置されていたといいます。横浜瀬谷八福神のだるま大師です。
山号 | 相澤山 |
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院号 | - |
寺号 | 長天寺 |
住所 | 横浜市瀬谷区相沢4-4-1 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 横浜瀬谷八福神のだるま大師 |
長天寺の縁起
長天寺は、平本六郎兵衛が開基、宝林宗薫大和尚禅師が応永元年(1394年)開山したといいます。明治時代には瀬谷村の村役場が当寺客殿に設置されていたといいます。
新編相模国風土記稿による長天寺の縁起
(瀬谷村)長天寺
相澤山と號す、臨済宗鎌倉建長寺末、本尊釈迦を安ず。開山は宗薫と云へり。(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による長天寺の縁起
瀬谷村役場跡(長天寺)
長天寺は臨済宗建長寺派に属し、室町時代の応永元年(1394年)2月15日宝林宗薫大和尚禅師によって開山、開基は平本六郎兵衛であると伝えられています。
明治22年(1889年)5月27日の市町村制の公布にもとづいて、瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、瀬谷村となり、初めての村役場をこの長天寺の客殿に置きました。この客殿は、大正5年(1916年)に新しい役場が建設されるまで使用され、3村が合併された際の初代村長は守屋平輔でした。
横穴古墳跡
明治39年(1906年)3月、長天寺の北側に隣接したところで当地の平本弥太郎が農作業中に人骨3体、直刀及び鍔3点、金環2点、琥珀の璽玉3個、鉄轡1個を発掘しました。出土品から飛鳥時代・白鳳時代(604〜708年)頃の相当高貴な人の墳墓と推定され、大切に保管されていましたが、のち、東京国立博物館に収蔵されました。(瀬谷区役所掲示より)
長天寺所蔵の文化財
- 瀬谷村役場跡
- 横穴古墳跡
長天寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿