瀬谷山宝蔵寺。横浜瀬谷八福神の弁財天
宝蔵寺の概要
高野山真言宗寺院の宝蔵寺は、瀬谷山不動院と号します。宝蔵寺は、秀恵比丘尼が不動庵を治暦2年(1066)開基、応永3年(1396)空元法印(正長元年1428年寂)が古義真言宗感応院の末寺として開山したといいます。慶安2年(1649)には徳川家光より寺領8石3斗の御朱印状を拝領したといいます。横浜瀬谷八福神の弁財天です。
山号 | 瀬谷山 |
---|---|
院号 | 不動院 |
寺号 | 宝蔵寺 |
住所 | 横浜市瀬谷区瀬谷5-36-14 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 横浜瀬谷八福神の弁財天 |
宝蔵寺の縁起
宝蔵寺は、秀恵比丘尼が不動庵を治暦2年(1066)開基、応永3年(1396)空元法印(正長元年1428年寂)が古義真言宗感応院の末寺として開山したといいます。慶安2年(1649)には徳川家光より寺領8石3斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編相模国風土記稿による宝蔵寺の縁起
(瀬谷村)寳蔵寺
瀬谷山不動院と號す、古義真言宗藤澤感應院末、本尊不動を安ず、開山は空元正長元年十月十五日寂す。慶安二年寺領八石三斗の御朱印を賜へり。(新編相模国風土記稿より)
境内掲示による宝蔵寺の縁起
治暦2年(1066)秀恵比丘尼が不動庵を開基されたのがはじまりであり、これより後、応永3年(1396)空元法印により古義真言宗感応院の末寺として開山されたと伝聞されているが、空元法印以前の歴代住職等に付いては不詳である。
慶安2年(1649)徳川幕府(3代将軍家光公)より、領地1丁2反9畝、境内地6反、寺領8石3斗、の御朱印を賜る。(御朱印籠等は現存す)爾来、菊のご紋章を許さる。当山本堂は当初、墓地に隣接していたが三度び火災焼失した後、現在地に移り、今日の本堂は天保15(1844)の建造である。
境内には天満宮(菅原道真公奉安)があり、学問の神として知られ、殊に進学時期には学生の参拝が多く見られる。
弁財天を奉安したお堂(昭和58年創設による横浜瀬谷八福神の内)が新に建造された。弁財天は八福神の中では唯一の女神であり、智恵財福のご利益があり、芸道技術の神としても崇拝されている。
水子地蔵尊(石仏)のご守護をうけて、亡き子を思う親の願いを託された可愛いわらべ地蔵が安置されて居り、毎年3月24日(地蔵の日)には水子地蔵供養会が修行され宗旨等にこだわることなく多数の参拝者がある。(境内掲示より)
宝蔵寺所蔵の文化財
- 宝蔵寺の梵鐘(神奈川県指定重要文化財)
宝蔵寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿