東俣野八坂大神|横浜市戸塚区東俣野町の神社

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東俣野八坂大神|江戸時代中期に創建

東俣野八坂大神の概要

東俣野八坂大神は、横浜市戸塚区にある八坂大神です。東俣野八坂大神は、享保18年(1733)に創建、明治6年村社に列格していたといいます。当社の横に走っている道は、鎌倉街道西の道とも鎌倉街道上の道とも言われ、交通の要衝だったといいます。

東俣野八坂大神
東俣野八坂大神の概要
社号 八坂大神
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市戸塚区東俣野町1637
祭日 例大祭9月14日
備考 -



八坂大神の由緒

東俣野八坂大神は、享保18年(1733)に創建、明治6年村社に列格していたといいます。

新編相模国風土記稿による八坂大神の由緒

(東俣野村)
欽明天王社
村の鎮守と崇む、祭祀六月十四日龍長院持、
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八幡宮二
一は小名上屋鋪にあり、元亀二年八月朔日川戸八郎右衛門政元(里正利右衛門が祖なり)勧請すと云ふ、安永九年二月地頭永井監物眞廣再建す、里正利右衛門の持一は村民持、
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左馬明神社
村民持(高座郡西俣野村の傳には、左馬頭義麻の靈社といふ、)下同、
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神明宮
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第六天社
村持、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による八坂大神の由緒

享保十八年(一七三三)の創建。寛政七年三月社殿造営、文政三年に覆殿修造のことがあった。明治六年村社に列している。現社殿は明治十三年四月氏子中にて改築したものである。(神奈川県神社誌より)

「戸塚区郷土史」による八坂大神の由緒

八坂大神(東俣野町戸ノ久保一六三七番地)
祭神は素盞鳴命、享保十八年の創立。その後寛政七年・文政三年・明治十三年の三度にわたり修改築して、今日におよんでいるが、維新前まで祭礼は六月十四日に行い、竜長院が担当別当をつとめていた。(「戸塚区郷土史」より)

境内掲示による八坂大神前の道について

鎌倉街道西の道
鎌倉街道西の道とも上の道とも言われるこの道は、鎌倉と地方を結ぶ重要街道の一つで新田軍が鎌倉攻略に進撃したのはこの道と伝えられ、歴史ある古道である。
元弘三年(一三三三)五月八日新田義貞は上州新田庄の生品神社の境内で鎌倉幕府討伐のため挙兵した。はじめは其の数わずか百五十騎だったが呼応する者が激増し、小手指原(所沢)、分倍河原で幕府の大軍を撃破、さらに村岡(藤沢市)洲崎(大船)で大勝し、鎌倉の包囲網に成功した。
新田軍はついに稲村ヶ崎、極楽寺、化粧坂、巨袋、亀ヶ谷の各方面から鎌倉市中に突入し北条高時ら一族門葉八百七十余人が東勝寺で兵火の中に自刃、鎌倉幕府は滅亡した。
ときに五月二十二日、源頼朝が鎌倉入りしてから百五十三年目のことである。(「大正地区歴史散歩の会、十周年記念碑」掲示より)


東俣野八坂大神の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿