汲沢五霊神社|森織部義秀が、村岡郷宮前村の御霊社の分霊を勧請社
汲沢五霊神社の概要
汲沢五霊神社は、横浜市戸塚区にある五霊神社です。汲沢五霊神社は、森織部義秀が、村岡郷宮前村の御霊社の分霊を勧請して元亀2年(1571)に創建、後に景政を合祀したといいます。江戸期には汲沢の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格しています。
社号 | 五霊神社 |
---|---|
祭神 | 村岡良文、村岡公致、村岡致成、鎌倉景成、鎌倉権五郎景成 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市戸塚区汲沢町1273 |
祭日 | 例大祭10月1日 |
備考 | - |
五霊神社の由緒
汲沢五霊神社は、森織部義秀が、村岡郷宮前村の御霊社の分霊を勧請して元亀2年(1571)に創建、後に景政を合祀したといいます。江戸期には汲沢の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格しています。
新編相模国風土記稿による五霊神社の由緒
(汲澤村)
御靈社
村の鎮守とす、例祭九月廿六日、寶壽院持下同じ、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による五霊神社の由緒
元亀二年(一五七一)九月十九日創建。当時この地は村岡郷に属しており、森織部義秀が村岡郷宮前村の御霊社を勧請した。後に鎌倉権五郎景政を合祀して、祭神が五柱となったので、社名を「五霊」と改めたという。
慶長二年社殿を再興して五霊大権現と称したが、再興に当って氏子二戸につき松苗十二本ずつを集めて境内に植林した。その内の一本は昭和二十八年まで現存し、目通り二丈余に達し、当時の面影を偲ばせていたが遂に枯損した。その後社殿の改築二回、更に関東大震災後直ちに復興し、大正十三年十二月十五日竣功して現在に至る。(神奈川県神社誌より)
「戸塚区郷土史」による五霊神社の由緒
五霊神社(汲沢町一二九三番地)
祭神は村岡良文・村岡公致・村岡致成・鎌倉権五郎景政・景成の五柱。元亀二年(一五七一)森織部義秀が、村内に氏神のなきことを嘆き村民とはかり、村岡郷宮前村の御霊社の分霊を勧請し、後に景政を合祀したといわれ、時に一戸当たり松苗十二本ずつを集め、境内に移植したという。現在、なお目通り一丈余の古松一株存し、当時の面影を偲ばせており、社殿は改築を重ねること三度び、現社殿は大正十三年十二月十五日復興したもので、それより先き明治六年には村社に列した。(「戸塚区郷土史」より)
汲沢五霊神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿