天龍山光安寺。江戸期には末寺を3ヶ寺擁していた寺院
光安寺の概要
浄土宗寺院の光安寺は、天龍山榮林院と号します。光安寺は、昌蓮社繁誉真阿存公(文禄2年1594年寂)が開山となり、天正18年(1590)に創建、江戸期には末寺を3ヶ寺擁していたといいます。
山号 | 天龍山 |
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院号 | 榮林院 |
寺号 | 光安寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 横浜市戸塚区平戸町392 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光安寺の縁起
光安寺は、昌蓮社繁誉真阿存公(文禄2年1594年寂)が開山となり、天正18年(1590)に創建、江戸期には末寺を3ヶ寺擁していたといいます。
新編相模国風土記稿による光安寺の縁起
(平戸村)
光安寺
天龍山榮林院と號す、浄土宗武州小机泉谷寺末、本尊は彌陀長三尺惠心作、開山は存公文禄二年十月九日寂すと云へり。(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による光安寺の縁起
光安寺(平戸町三九二番地)浄土宗
天竜山栄林院と号し、元小机泉谷寺末であり、本尊に阿弥陀如来(長さ三尺恵心作)を安置している。天正十八年(一五九○)の建立と伝え、開山は昌蓮社繁誉真阿存公(文禄二年十月九日寂)。草創以来の事象については不詳であるが、江戸期には本城山光照院、円谷山植松寺、地蔵院という三ヶ寺の末寺が、南区永谷地区内にあったが、明治維新時廃寺となった。(「戸塚区郷土史」より)
光安寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿