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潤岳山高松寺。横浜市戸塚区戸塚町にある臨済宗円覚寺派寺院

高松寺の概要

臨済宗円覚寺派寺院の高松寺は、潤岳山と号します。高松寺は、三浦氏の家臣高松三郎頼重が開基となり嘉禄2年(1226)創建したといいます。

高松寺
高松寺の概要
山号 潤岳山
院号 -
寺号 高松寺
本尊 釈迦如来像
住所 横浜市戸塚区戸塚町4846
宗派 臨済宗円覚寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



高松寺の縁起

高松寺は、三浦氏の家臣高松三郎頼重が開基となり嘉禄2年(1226)創建したといいます。

新編相模国風土記稿による高松寺の縁起

(戸塚宿)高松庵
潤岳山と号す、円覚寺末、本尊釈迦、開山龍甫珠公、文禄二年創建すと云ふ。
閻魔堂。(新編相模国風土記稿より)

「戸塚区郷土史」による高松寺の縁起

澗岳山と号し、鎌倉円覚寺末で、古くは高松庵と称し、本尊に聖観世音菩薩を安置している。寺伝によれば嘉禄二年(一二二六)三浦氏の臣、高松三郎頼重が龍甫珠公を拝して起立したといい、一時荒廃に帰していたのを天文年間に至り、雲(山田)周泰が中興したと伝えている。その後慶安年間に一渓純公が再興、元禄年間には黙堂雷公が本堂を改築するなどして、伽藍ようやく整ったが、再び頽髪したため宝暦七年十一月八日に至り本堂を新築した。しかるに大正十二年の大震災で堂宇は再び悉く倒壊、昭和三十年四月八日漸く法熟して堂宇伽藍真面目を一新した。境内所在の閻魔堂は貞享三年の建立にかかり、大震災で倒壊したのを、昭和元年復興、同三十七年八月再修した。鎮守堂は石造りで天保十四年の建造。
古墳 高松塚と称し、高松三郎頼重公の墳墓と伝えている。(「戸塚区郷土史」より)


高松寺所蔵の文化財

  • 雲岫和尚像一幅(横浜市指定有形文化財)
  • 仏涅槃図一幅(横浜市指定有形文化財)

雲岫和尚像一幅

雲岫和尚像は、当寺中興六世とされる雲岫周泰の頂相(禅宗の肖像画)です。
やや右向きに法被を掛けた曲彔に坐し、台上に覆をおきます。曲彔の右肩に立てかけた杖には背負い紐と払子が掛かり、衣は墨彩色で表出されています。図上に左書の著賛があります。
雲岫は夢想疎石の系統である芳林中恩(円覚一四六世)の法嗣で、天文二十一年(1552)に示寂しました。賛者は像主五世の法孫に当り、元禄十六年(1703)の大地震復興に尽し、元文二年(1737)に示寂しています。
本図は遺像と思われますが、図様・描法や著賛一などから見て著賛当時よりはやや古い、桃山から江戸時代の筆になるものかと推定されます。著賛遺例の少ないこの頃の作例として貴重なものです。(横浜市教育委員会掲示より)

仏涅槃図一幅

釈尊八十歳のとき、故郷に近いクシナガラで終焉を迎えた情景を演出するこの図様は、「大涅槃像」と同「後分」によって構成されています。一般的な傾向としては、平安期の図様は画面の中で釈尊の占める部分が大きく、会衆が比較的少なくなっています。鎌倉時代以降になると周辺の情景に大きなスペースをさき、会衆‐ことに畜類が多くなって行きます。
本図は、描法・賦彩などからみて、江戸時代前半における江戸狩野系の町絵師の作と見られます。(横浜市教育委員会掲示より)


高松寺の周辺図