熊野山西立寺。信之右衛門(信阿)という信者が遊行上人に帰依
西立寺の概要
浄土宗寺院の西立寺は、熊野山と号します。西立寺は、信之右衛門(信阿)という信者が享禄年間(1528-1531)遊行上人に帰依、熊野権現の祠堂を建立し、その傍らに庵を結び創始、その後無歴(天正8年1580年寂)が弘治元年(1555)一寺に改めたといいます。
山号 | 熊野山 |
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院号 | - |
寺号 | 西立寺 |
本尊 | 釈迦如来像 |
住所 | 横浜市戸塚区戸塚町2226 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西立寺の縁起
西立寺は、信之右衛門(信阿)という信者が享禄年間(1528-1531)遊行上人に帰依、熊野権現の祠堂を建立し、その傍らに庵を結び創始、その後無歴(天正8年1580年寂)が弘治元年(1555)一寺に改めたといいます。
新編相模国風土記稿による西立寺の縁起
(戸塚宿)
西立寺
浄土宗、岩瀬村大長寺末。熊野山松樹院と号す。弘治元年僧無歴創建す
(無歴は、縁蓮社近譽と號す、天正八年三月十七日寂す、本寺由緒書に、享禄中、村民信之右衛門と云者、紀州熊野山に詣、神勅の深旨を了解し、剃髪して信阿と號す、後熊野社を當村に勧請し、傍に草庵を結て閑居し、天文十二年五月十五日歿す、無歴は阿の俗縁あるを以て、其草庵の古地に就て浄宗の一寺を建とあり、)
本尊彌陀を安ぜり(新編相模国風土記稿より)
「戸塚区郷土史」による西立寺の縁起
西立寺(戸塚町二二二六番地)浄土宗
熊野山松樹院と号し、本尊に阿弥陀如来を安置している。起立の年時について「相模風土記稿」には弘治元年僧無歴の創建と記しているが、寺伝は享禄年中右衛門という信者が遊行上人に帰依し、信阿と号して、熊野権現の祠堂を建立し、その傍らに庵を結び念仏修行したのに始まるといい、信阿と無歴は俗縁関係にあったという。信阿は天文十二年(一五四三)寂。無暦は天正八年(一五八〇)三月の寂といえば、信阿によって造立された念仏堂を、一寺に改めたのが無歴であったと思われる。寛永年中本堂を再建、その後明治四十四年堂宇に修理を加えたが、関東大震災で悉く倒壊、昭和六年に至り本堂庫裡を再建し、今日におよんでいる。
寺宝 観世音菩薩坐像、胎内に明応九年(一五〇〇)造立の銘がある。(「戸塚区郷土史」より)
西立寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿