江ヶ崎町八幡神社|江ヶ崎近郊七ヵ村の鎮守、旧村社
江ヶ崎町八幡神社の概要
江ヶ崎町八幡神社は、横浜市鶴見区江ヶ崎町にある神社です。江ヶ崎町八幡神社は、近郷(江ヶ崎村、市場村、江ヶ崎、塚越村、古川村、上平間村の七ヵ村)の鎮守として寛永15年(1638)に創建したと伝えられ、明治6年に村社に列格、明治42年無格社十二柱神、神明社、稲荷社の三社を併合したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 面足尊、惶根尊 |
境内社 | 神明社、稲荷社 |
住所 | 横浜市鶴見区江ヶ崎町13-31 |
祭日 | - |
備考 | 旧江ヶ崎村鎮守、旧村社 |
江ヶ崎町八幡神社の由緒
江ヶ崎町八幡神社は、荒川伊豆守景親が江ヶ崎の鎮守として天文元年(1532)に創建したといいます。明治6年村社に列格、明治42年に無格社大六天社(面足尊・惶根尊)合祀、昭和3年当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による江ヶ崎町八幡神社の由緒
(江ヶ崎村)八幡社
小名東通りにあり、本社に覆屋あり、本地正観音坐像五寸許村の鎮守なり、右の方に伊勢稲荷を合祀せり、社前に石の鳥居を建、入口の左右に老松二株あり、其外古松多し、村内壽徳寺持
第六天社
東の方矢向村の境にあり、南向の小祠、是も壽徳寺持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による江ヶ崎町八幡神社の由緒
八幡神社
当神社は、天文元年(一五三二)に上杉謙信の武臣荒川伊豆守景親、主命により江が崎村に武運長久のため創建せられたと伝える。天正十九年九月九日伊豆守の嫡子八條流の馬術家荒川長兵衛の検地あり、江ヶ崎村石高百七十四石九斗を領地として社殿を修理した。当時の民家は二十八戸、稲毛領に属し、後川崎領に属す。鎮座地は東通りと称し参道の左右に老松二株、その他境内に古杉老松多く、神域頗る荘厳であったと云う。天明八年荒川家末孫荒川数馬社殿を改築し、石造随神二基を奉献、文化年中荒川八左衛門に至るまで代々領主の信仰殊に深く、明治六年村社に列し、同四十二年九月七日寛政以前の無格社面足尊、惶根尊を奉斎せる大六天社を併合し本殿に合祀した。昭和三年七月二十日境内地全域鉄道省用地に編入のため現在地に遷座した。(神奈川県神社誌より)
江ヶ崎町八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿