白幡神社|寺尾城主諏訪三河守が足利尊氏を祭神として創建
白幡神社の概要
白幡神社は、横浜市鶴見区東寺尾にある神社です。白幡神社は、寺尾城主諏訪三河守が足利尊氏を祭神として白幡大明神を永享7年(1435)創建、寺尾の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格していました。
社号 | 白幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷社、熊野社、三峯社、氷川社 |
住所 | 横浜市鶴見区東寺尾2-10-19 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
白幡神社の由緒
白幡神社は、寺尾城主諏訪三河守が足利尊氏を祭神として白幡大明神を永享7年(1435)創建、寺尾の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による白幡神社の由緒
(東寺尾村)白幡明神社
小名白幡谷にあり、本社一間四方上屋三間に三間半南に向へり白幡社と扁す、神體幣束にて前に神鏡をかく、社前左右に石の燈籠二基あり共に長五尺、社前の石階八級を下り又二十三級を下りて石の鳥居建り柱間九尺、夫より又石階五級を下る、此所より社前まで二十間餘あり、例祭毎年六月五日湯花神楽等あり當村の鎮守なり、社邊に古松數株繁茂せり、西寺尾村建功寺過去帳に白幡大明神は足利尊氏将軍なり、尊氏将軍より十七代目足利義政将軍(按に義政は尊氏より六代なり)代永享七年六月五日、寺尾の城主諏訪勧請すとあり、土人の云傳ふる所も亦かくのごとし、社内に棟札四枚あり其内古きものは文字摩滅して讀べからず、一は貞享四年伊奈半十郎及名主百姓等の名を記せり、一は享保十二年伊奈半左衛門同半十郎等の名あり、一は近き頃のものなり。
末社。
稲荷社。本社の東にあり小祠。
熊野社。是も小祠にて西方にあり。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による白幡神社の由緒
白幡神社
勧請の年代は詳でないが、同町建功寺適去帳に「白幡大明神は足利尊氏将軍より七代目足利義教将軍永享七年六月五日寺尾城主諏訪勧請す」とある。新編武蔵風土記稿には「白幡明神社小名白幡谷にあり例祭毎年六月五日湯花神楽あり当村の鎮守なり此辺に古松数株繁茂せり」とある。維新後、白幡明神を白幡神社と改め、明治六年村社に列し、昭和二年八月二十六日神供幣烏料供進社に指定せられた。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による白幡神社の由緒
口碑によれば往古は寺尾の鎮守神として源頼朝を祀ったと伝え、後に永享七年六月五日(一四三五)寺尾城主諏訪三河守が白幡大明神として足利尊氏を祭神として祀った。
もとは寺尾四ヶ村の総鎮守で明治六年白幡神社と改称し、祭神は品陀和気命に改められ東寺尾の鎮守として今日に至っている。(寺尾郷土研究会掲示より)
白幡神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿