徳雄山建功寺。横浜市鶴見区馬場
建功寺の概要
曹洞宗寺院の建功寺は、徳雄山瑞雲院と号します。建功寺は、大州長誉(天正12年1584年寂)が開山となり創建したといいます。
山号 | 徳雄山 |
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院号 | 瑞雲院 |
寺号 | 建功寺 |
住所 | 横浜市鶴見区馬場1-2-1 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | 建功寺瑞雲閣 |
備考 | - |
建功寺の縁起
建功寺は、寺尾城主諏訪右馬之丞の帰依を受け、聲庵守聞大和尙が創建、大州長誉大和尚(天正12年1584年寂)を勧請開山としたといいます。
新編武蔵風土記稿による建功寺の縁起
(西寺尾村)建功寺
観音堂の邊にあり、禅宗曹洞派にて相模国愛甲郡富岡村龍散寺末なり、徳勇山瑞雲院と號す、開山は大州長誉と云天正十二年六月九日寂せり。二世は聲庵主聞元和十年正月二十九日寂す、本堂七間に六間半慶長十四年の建立なり、本尊釈迦文殊普賢長いづれも一尺二寸許、堂は巽に向ふ、山前に石階あり高二丈許なり是を上りて木戸あり、木戸の外に禁制の碑をたつ、其地山を切通して大門とせしさまにみゆ。
龍燈松。彼山の上にあり、させる古木とも見えず、此寺の下なる川より古へ龍燈あがりしと云。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿佛寺編」による建功寺の縁起
建功寺
位置
建功寺は德勇山瑞雲院と號し、神奈川區西寺尾町飛地千百五十四番地に在る。境内は千九百三十四坪。官有地。神奈川縣中郡成瀨村富岡龍散寺の末で、寺格は三等法地四十七級である。
沿革
慶長十四巳年に、聲庵守聞和尙の創立した所である。初め守聞和尙が當所に巡錫し、寺尾城主諏訪右馬之丞の歸依を得、其外護によつて、一宇を建立した。これが當寺である。和尙は時に其師たる相州愛甲郡東富岡村龍散寺第三世大州長譽大和尙を請じて開山とし、自らは第二世に列した。寶曆年閒、第七世龍海の代、囘祿に罹り、堂宇悉く灰燼に歸したが、第八世通峯智玄の代、寶曆七年十二月に本堂、同九年三月に鎭守堂を再建し、第九世梵秀の代、天明九年十二月に庫裡の再建、竝に山門の葺替へ等を遂げて、舊觀に復した。故に八世竝に九世を當寺中興とする。其後年歷久しく、堂宇が荒廢したを、現住十五世宏道が、昭和二年に、本堂・庫裡・山門等の大修覆を遂げ、面目を一新した。更に現住宏道が前年、大本山總持寺の鶴見町移轉に際して盡した功に依り、明治四十年三月十日、大本山貫首より特に本山近門寺院に列せられ、且、永代色衣著用の寺格を許された。今、末寺として鶴見町成願寺、師岡町永昌寺を扶持してゐる。
本尊
本尊は釋迦如來坐像、長九寸作不詳。脇士、文珠・普賢の坐像、長各〻五寸である。
堂宇
今の堂宇は、本堂 桁行八間、梁間六間半、瓦葺、切妻造。・庫裡 桁行六間、梁間九間、亞沿葺。・物置 桁行四間、梁間二間、草葺。等である。(「横浜市史稿佛寺編」より)
建功寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 曹洞宗 建功寺 ホームページ
参考資料
- 新編武蔵風土記稿