寳藏院。横浜市鶴見区馬場にある真言宗智山派寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

愛宕山寳藏院。玉川八十八ヶ所霊場、東国八十八ヵ所霊場、武相不動尊

寳藏院の概要

真言宗智山派寺院の寳藏院は、愛宕山延命寺と号します。寳藏院の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定されるといいます。玉川八十八ヶ所霊場12番、東国八十八ヵ所霊場12番、武相不動尊21番です。

寳藏院
寳藏院の概要
山号 愛宕山
院号 寳藏院
寺号 延命寺
住所 横浜市鶴見区馬場4-7-5
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



寳藏院の縁起

寳藏院の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定されるといいます。

新編武蔵風土記稿による寳藏院の縁起

(馬場村)寶蔵院
村の巽の方にあり、新義真言宗神奈川宿金蔵院末愛宕山延命寺と號す、開山年代詳ならず、慶安の頃しるせし物に、四石五斗は大日免山林竹木寺中共、又十石五斗は總鎮守愛宕免神奈川領の内寺尾村寳蔵院とあれば、其頃ははや一寺となりしこと論なかるべし、客殿九間半に五間半坤に向ふ、本尊大日木の坐像五寸許なるを安ず。
十王堂。門入て左にあり四間に二間半
愛宕社。客殿の後丘上にあり、本地大日木像ことに破壊しければ、寸尺等詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による寳藏院の縁起

寶藏院
位置
寶藏院は、愛宕山と號し、鶴見區馬場町五百四番地に在る。境内は四段九畝步。官有地。神奈川町金藏院末で、寺格は十九等である。
沿革
創立年代・開山等も不明である。武藏風土記稿には、「村ノ巽ノ方ニアリ。新義眞言宗、神奈川宿金藏院末。愛宕山延命寺ト號ス。開山年代詳ナラズ。慶安ノ頃シルセシ物ニ四石五斗ハ大日免、山林竹木寺中共、又五石五斗ハ總鎭守愛宕免、神奈川領ノ内寺尾村寶藏院トアレバ、其頃ハ、ハヤー寺トナリシコト論ナカルベシ。客殿九間半ニ五閒半、坤ニ向フ。本尊大日、木ノ座像五寸許ナルヲ安ズ。」とある。
本尊
本尊大日如來木製坐像 長一尺。は作者不詳である。兩脇士は觀音・勢至である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)

境内掲示による寳藏院の縁起

真言宗智山派の愛宕山寳蔵院は、橘樹郡神奈川宿新義真言宗金蔵院末寺である。
創建は、平安期の白山信仰(江戸期には白山さまと称し歯の神様)・仏像・鎌倉期の愛宕社・山門等の建立および製作のほか、慶安二年(一六四九)の古文書により、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定された名刹である。惣鎮守愛宕社は源頼朝公時代(建久三年より正治元年)に建立され、天正十八年(一五九〇)戦火で焼失し江戸時代に再建されたが、昭和二十年に堂宇老朽のため解体した。
昭和二十年、本堂真後ろの墓地裏より板碑が数基出土したが、そのうちの一枚は鎌倉時代の承元四年(一二一〇)と彫られている。
山門は一部補修されているが、鎌倉時代のもので、板戸(樅の木の一枚板)獅子の彫刻(真向きの獅子・爪の彫り方)等は同時代の風格をよく表現していることで知られている。
左側の石段は鎌倉時代に建造されたものと伝えられている。
本堂裏山には寺尾城(戦国時代に築城)址の砦として使用された愛宕社への虎口を守るための土塁があったことが発見されている。又、境内にあった溜池は、寺尾城の「水の手」として使用されたことが昭和五十四年判明された。
過去帳による歴代住職中、最古と認められるのは、永享七年朔日「寂」として傳燈大阿闍梨耶法印弁榮と記録されて居り、江戸時代中ごろ元禄二年法印秀賢を中興として、爾来法燈連綿として現在に至っている。
本堂には本尊大日如来・弘法大師尊像など仏像三十八躰が安置されて居り、寺尾地区にある最古の寺であるため、武相不動尊霊場の二十一番札所「寺尾不動尊」と称し、この他玉川八十八ヶ所霊場霊場の十二番札所、新四国東国八十八ヵ所霊場十二番札所にもなっている。
寺宝としては、聖観世音菩薩・薬師如来(伝鎌倉期以前)、十王尊像・十王尊掛軸・須弥壇(伝鎌倉期)、人生一生を守る十二支一代守本尊、白蛇(弁才天の化身)などがある。
境内には源平五色椿があって、全国で唯一の五色に咲き分けの椿の名木で、樹齢六百年以上と伝え、市の名木古木に指定されている。
その他、足びき地蔵・水子地蔵・白山さま(歯の神様)・霊泉(延命水)などがあり、墓地には珍しい左文字の墓(鏡文字)がある。(境内掲示より)


寳藏院の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿