摩尼山長松寺。玉川八十八ヶ所霊場、武相不動尊霊場、東国八十八ヵ所霊場
長松寺の概要
真言宗智山派寺院の長松寺は、摩尼山と号します。長松寺の創建年代等は不詳ながら、権大僧都法印快重(延宝5年1677年銘)の石碑が残されたいたといい、中興は法印慈観だといいます。玉川八十八ヶ所霊場81番、武相不動尊霊場17番、東国八十八ヵ所霊場13番です。
山号 | 摩尼山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 長松寺 |
住所 | 横浜市鶴見区駒岡3-4-22 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長松寺の縁起
長松寺の創建年代等は不詳ながら、権大僧都法印快重(延宝5年1677年銘)の石碑が残されたいたといい、中興は法印慈観だといいます。
新編武蔵風土記稿による長松寺の縁起
(上駒岡村・中駒岡村・下駒岡村)長松寺
上村の内西よりにあり、郡内神奈川宿金蔵院の末、摩尼山と號す、客殿六間に五間本尊薬師堂坐像長二尺許なるを安ず、中興開祖法印慈観寂年を傳へず開山に至りては其名をも傳へず、境内の石碑をみるに権大僧都法印快重延寶五年六月十八日とあり、是開山にてもありや、今住僧なければ總でただすべきよしなし。
大日堂。客殿に向て左にあり石の坐像にて長二尺なり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による長松寺の縁起
長松寺
位置
長松寺は、摩尼山と號し、鶴見區駒岡町三百八十三番地に在る。境内は、凡八畝步。官有地。神奈川區金蔵院末で、寺格は二十五等地である。
沿革
草創の年代竝に開山等も詳かでない。中興開山を慈觀としてあるが、其寂年は不明である。風土記稿には、「權大但僧都法印快重、延寶五年六月十八日トアリ。是開山ニテモアリヤ」とある。當寺は殆ど少檀少祿である上、多くは無住で、他寺の兼務に任せて在つた為め、沿革等は悉く不明である。
本尊
本尊は藥師如來、廚子入祕佛で、舊地頭久志木左京の寄進と云はれる。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
長松寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿