南海山正泉寺。玉川八十八ヶ所霊場、武相不動尊霊場、鶴見七福神の恵比須
正泉寺の概要
真言宗智山派寺院の正泉寺は、南海山瑠璃光院と号します。僧全浄が寛永元年(1624)に創建したといいます。玉川八十八ヶ所霊場8番、武相不動尊霊場19番、鶴見七福神の恵比須です。
山号 | 南海山 |
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院号 | 瑠璃光院 |
寺号 | 正泉寺 |
住所 | 横浜市鶴見区生麦4-31-4 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正泉寺の縁起
正泉寺は、僧全浄が寛永元年(1624)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による正泉寺の縁起
(生麦村)正泉寺
往還の中程東側24間引き込であり。新義真言宗神奈川宿金蔵院末、南海山瑠璃光院と号す。寛永元年甲子の起立にして開山は全浄といふ。客殿5間に4間半西北に向ふて建てり。本尊薬師の坐像長さ8寸なるを安ず。毘首羯摩の作と云。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による正泉寺の縁起
正泉寺
位置
正泉寺は、南海山瑠璃光院と號し、鶴見區生麥町五百九十六番地に在る。境内は九十三坪。民有地。神奈川區金藏院末で、寺格は九等地、弘法大師玉川八十八箇所靈場の第八番の札所である。
沿革
寶永元年の創建で、開山を全淨と云ふ。其後、八十餘年を經て、第五世覺宣の代に中興し、更に文政の頃に至つて、惠照と言ふ住僧が、本堂竝に庫裡の再建を為したが、天保の中頃から、多くは無住で、他寺の兼務する所となつて居た。然るに明治二十八年七月、火災に罹つて、堂宇は悉く燒失の厄に遭ひ、其後に再建し、大正十四年五月、現住野澤光了が本堂の修覆、庫裡の再建を遂げた。
本尊
本尊は藥師如來の坐像、長八尺。傳に、毘首羯摩作と云ふ。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
正泉寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿